岩手県

毒沢城(毒沢館) 伊達政宗の側室になった勝女姫のふるさとか?

毒沢城(毒沢館)

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陸奥・毒沢城(毒沢館、どくさわたて)は、岩手県花巻市東和町毒沢にあり、標高は240m、比高80mと堅固な平山城です。
当然ですが、平時の毒沢館は山頂にはなかったと推測されます。

諸説ありますが、最初の築城は、陸奥・二子城城主と考えられる和賀政義の3男・和賀盛義とされます。
南北朝時代の1362年に、独沢郷など二百余町を分け与え、毒沢盛義(独沢八郎左衛門讃岐)と称したようですので、恐らくは南朝に味方していた一族の領地を得たものと考えてよいでしょう。
他にも、和賀薩摩守義弥の子・和賀太郎義一が、毒沢城を築いて毒沢太郎(毒沢義一)と称したともあります。
その後、毒澤伊賀守一忠と毒沢金作一邦の名が見受けられます。


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城は違いますが、1600年に、陸奥・岩崎城主の岩崎弥十郎が主君である和賀政義を城に招いて踊りを披露していますので、和賀氏は北朝として領地を拡大していたようです。

その後、毒沢氏の動向は全く不明ですが、戦国時代まで続きます。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、陸奥・二子城主の和賀義忠(和賀義治)は使者だけを出して、小田原城に参陣しませんでした。
そのため、奥州仕置で和賀氏は領地没収となり、毒沢一忠(毒沢伊賀守一忠)も、毒沢城にて没落します。

毒沢城(毒沢館)

和賀郡は豊臣家の蔵入地(直轄領)となったため、和賀義忠らは葛西大崎一揆に同調して蜂起し、和賀・稗貫一揆を起こします。
そして、浅野長政の家臣・後藤半七が守備していた二子城を奪還しました。

その後、豊臣家から命を受けた南部信直の雪で撤退を余儀なくされ、鳥谷ヶ崎城(花巻城)の浅野重吉も攻略しています。
この時、毒沢城の毒沢一忠は、鳥屋ケ崎城の南側からの攻撃に5番手の将として参加しています。
しかし、翌年には豊臣秀次、徳川家康ら6万の大軍によって鎮圧されました。


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その後、和賀郡・稗貫郡は南部家の所領となりましたが、1600年、関ヶ原の戦いとなります。

和賀義忠の子とされる和賀忠親が、伊達政宗の後援を受けて岩崎一揆を起こします。
どうやら、野望がある伊達政宗の密命を受けての蜂起だったよう、陸奥・岩崎城を占領しました。
この時、毒沢一忠は、子の毒沢義森(毒沢修理介義森)と共に参じています。


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しかし、南部利直らに押されて岩崎城も陥落し、和賀忠親は、脱出したものの、近臣の蒲田治道、筒井喜助、齋藤十蔵、毒沢義森らとともに自害しました。
徳川家康が和賀忠親に出頭を命じたため、その護送の途中、伊達政宗に暗殺されたとも、伊達家に迷惑を掛けないよう自刃したともされます。

その後、陸奥・登米城主から、陸奥・土沢城主になっていた江刺重恒(江刺兵庫之頭重恒)の家臣である三ヶ尻加賀恒逢が、毒沢城に入った模様です。
江刺重恒は南部家の家臣になっていました、浅野長政との交渉を成功に導いていたのが、三ヶ尻加賀恒逢だったようです。

毒沢城

毒沢義森の孫娘・勝女姫は、のち伊達政宗の側室になって、後世、伊達騒動を巻き起こす伊達宗勝を産みました。

勝女姫

多田吉広(只野吉広)の娘である勝女(かつめ)は、伊達政宗の側室になると、於勝の方(おかちのかた)とも呼ばれています。
佐々若狭に進められて、仙台城に腰元となって上がったところ、伊達政宗の目にその美貌がとまったようです。

毒沢義森の弟か子と考えられる毒沢孫一がいて、その毒沢孫市の子が多田伊賀守吉広で、多田勝子の父となります。

勝女姫が側室になると、当然、出世する訳でして、毒沢・多田・只野と名を改めていた只野勝吉(多田吉広の子)は1200石となりました。

勝女姫(法性院)は、1669年になくなりますが、1男1女を儲けたとされます。
1621年に生まれた伊達政宗の10男が、伊達宗勝(だて-むねかつ)で、のち一関藩主となりますが、1671年、仙台藩を乗っ取ろうとした、伊達騒動の中心人物となります。
娘は伊達宗実の正室となりました。


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毒沢城への交通アクセス・行き方ですが、当方のオリジナル東北地図をご参照賜りますと幸いです。
地元の毒沢城跡保存会様が熱心に草を刈るなど手入れして整備されているようで、麓には駐車場(3台)も用意されているのは大変ありがたいことです。
ただ、駐車場にお城めぐりとは関係ないと推測できるクルマが、エンジンをかけたまま止まっていました。
その駐車場脇から登城路がありますが、そんなに傾斜もきつくないようで、登りやすく整えられている模様です。
今回は新幹線の時間の関係もあり、登城までは致しませんでしたが、また機会があれば、再訪したいところです。
頂上からは岩手山も望めるようです。

陸奥・岩崎城 和賀・稗貫一揆や岩崎一揆の舞台
陸奥・土沢城 盛岡藩の重要拠点 十二鏑館はどこに?
二子城 和賀・稗貫一揆で落城する
花巻城 稗貫氏の本拠地と稗貫広忠
丹内山神社 強力なパワーを発するアラハバキ神の巨岩
釜石線 宮守川橋梁(めがね橋)銀河鉄道の夜のモチーフ
当方のオリジナル東北地図


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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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