常陸・小幡城(おばた-じょう)は、茨城県東茨城郡茨城町小幡にある標高25mの平山城で、比高は10mあります。
最初の築城は鎌倉時代に、小田城主・小田知重の3男である小田光重が築いて、小幡光重を称し、小田家の分家が起こったともされますが、ここまで領地であったのか疑問でもあり不詳です。
あとは、1417年に常陸・大掾詮幹の3男である大掾義幹が築いたともされますが、この2人は家系図に見えず、わかりません。
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ただし、戦国時代には、常陸・府中城主である大掾貞国や大掾清幹の領地であったと推定され、水戸城主・江戸通政か江戸重通の頃には江戸氏が攻略していたようです。
一説によりますと、1532年に、江戸通泰が、小幡義清を大洗にて殺害し、小幡城が江戸家の城になったともされます。
しかし、1585年、小幡城主・小幡対馬守が大掾に寝返ったともされ、常陸・小幡城の動向はよくわかりません。
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めのあと、常陸・太田城主の佐竹義宣が水戸城を攻めて江戸氏を滅ぼすと、大塚弥三郎と言う名も見受けられますが、上野・小幡城から派遣されたともと考えられる小幡孫次郎も城将として名があります。
なお、小幡孫次郎は佐竹氏との野戦にて討死して、小幡城も自落したようで、佐竹氏54万石に組み込まれ和田昭為が城主になったようです。
本丸に残る井戸には、落城した際に、お姫様が金の鳥を抱いて身を投げたという伝説もあるそうです。
奇跡的にも曲輪、空堀、土塁、土橋、井戸などが良好な状態で残っていることから、堀の深さも昔に近い状態で残されており、城マニアからは高い評価を受けているのが、常陸・小幡城です。
小幡城に侵入しますと、入り組んだ特殊な形状の城であるため、どうしても、堀の底を歩くことになります。
岩槻城や箕輪城、日向・佐土原城のように深いところを進むことになり、周囲は曲輪で囲まれていますので、簡単に横矢を受ける、土塁の高い所から狙われると言う圧迫感があります。
もちろん、自分がどこまで進んだのかもわかりにくく、どこが本丸か、この写真を撮影していた時でも、よくわかっていません。
そのため、どっちに進めばよいのかも不明な迷路と言え、方向感覚を失い、帰ることができるのか?と、とても不安になる感覚に陥ります。
ただ、これだけ技巧を凝らした城を江戸氏が造ったのか、佐竹氏なのか?、よくわかりません。
まぁ、佐竹氏なら作れると思いますので、佐竹と考えるのが妥当でしょうか?
しかし、これだけの遺構が残っており、ついついカメラの写真も多くなってしまう史跡です。
茨城町さんがきちんと文部科学省と協議すれば、充分、国史跡になる可能性があると思います。
続日本100名城に入らなかったのも残念ですが、ぜひ後世に末永く残ってほしい城跡です。
これだけの史跡が多くの方に知られないのはもったいないですので、欲を言えば、史跡を生かして、建物をたくさん復元させるなどした戦国テーマパークになると、嬉しいですし、地元の新しい観光名所にもなるかと存じますが・・。
なお、愛知にも尾張・小幡城、群馬にも上野・小幡城がありますので、混同しないよう注意が必要です。
常陸・小幡城への交通アクセスですが、JR常磐線の水戸駅で下車し、石岡駅行きの関東鉄道バスに乗って、新小幡バス停下車の徒歩約20分となります。
もしくは、JR常磐線の石岡駅からバスで、茨城桜本バス停(終点)下車し、徒歩約15分です。
小幡城の北側に、新しく駐車場ができており、近くの登城口から侵入できます。
当方の関東オリジナル地図にて、駐車場をポイントしておきます。
冬でもブーンと虫が近寄ってきました。
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最近は、私の体温が低いせいか、刺されませんでしたが、湿っていて、蚊がものスゴク多いようですので、夏は虫除けが必須です。
見学所要時間は20分~40分といったところです。
・常陸・府中城(石岡城)の歴史を詳しく
・常陸・太田城(舞鶴城) 戦国大名に発展した佐竹氏の本拠地
・水戸城 徳川御三家の日本100名城 見どころポイント
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・宮ヶ崎城(天王城・宮崎城) 宮崎幹親(宮ヶ崎幹顕)の本拠地
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