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秋田城 大和政権の支配の北限と俘囚とは【続日本100名城】

秋田城

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秋田城とは

秋田城(あきたじょう)は、秋田県秋田市にある城跡で「あきたのき」とも言い、国の史跡、続日本100名城にも選ばれています。
城跡と申しますと、一般的には、戦国時代にも使用されたお城に感じると存じます。
しかし、秋田県の由来にもなっております、この「秋田」の冠が使われてる秋田城は、秋田柵・秋田柵跡と表現したほうがわかりやすいのかも知れません。
続日本紀では、出羽柵(いではのき)と表記されています。


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そうなんです。
秋田城は、奈良時代から平安時代に城柵として機能した、古代城柵と言う事になります。

秋田城

当時の大和政権(朝廷)が、軍事力をもって東北に住む先住民・蝦夷(エミシ)を屈服させて、支配域を広げる(税金を取る)ため、その戦略拠点・行政拠点として整備した大規模な柵跡と言う事になります。
東北には多賀城志波城胆沢城など、このような古代城柵がいくつもありますが、秋田県にも払田柵、金沢柵(横手市)などが他にもありますが、東北で確認されている柵跡としては最北となります。
もちろん、秋田は、日本海側で重要な場所でもあり、このように朝廷側の最前線基地でもありました。
もっとも、文献にて、出羽柵のことを秋田城と記載していることもあり、秋田城と一般的に表現されている次第です。
ただし、戦国時代まで、ずっと使用されたと言う事ではありません。

秋田城

秋田城(出羽柵)は、標高40mほどの丘陵地に造営されています。
秋田城の創建・築城は、多賀城の9年後となる、733年とされます。
この頃、渤海からの使者「渤海使」が日本に渡航しており、34回中、4回ほどは出羽にも来航していたようです。
760年頃から、秋田城と言う名前が使われるようになっています。
797年に坂上田村麻呂が征夷大将軍となり、蝦夷の討伐が本格的になりました。
802年に、朝廷はアテルイとの軍事抗争に勝利しており、804年には、秋田城が廃されます。

秋田城

秋田城跡は、現在、高清水公園として整備されています。
下記は、復元された秋田城の東門となります。

秋田城の東門

秋田城跡からは、当時としては大変珍しい「水洗トイレ」も発掘されています。

俘囚

ところが、878年、俘囚(ふしゅう)と表現する陸奥・出羽の蝦夷が、大規模な反乱「元慶の乱」を起こし、秋田城を一時占拠しています。
この俘囚と言うのは、人の名前と言うことではなく、朝廷の支配に属した蝦夷の人々、捕虜になった人々と言う意味合いが強いようです。
朝廷側は、俘囚の中から優れた者を、夷俘長として統率させたりしています。
しかし、俘囚による反乱は、813年頃の出雲国「荒橿の乱」、875年の「下総俘囚の乱」、883年の「上総俘囚の乱」(寛平・延喜東国の乱)など、度々発生していました。
秋田城での乱のあと、879年、出羽権守・藤原保則が、多数破壊された城櫓など秋田城を再建しています。
しかし、939年には天慶の乱など、たびたび俘囚から大規模な攻撃を受けました。


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そして、1050年前後の前九年の役を境に、秋田城は衰退した模様です。
諸説ありますが、俘囚長の中からは、のちに東北で権力を得る安倍忠頼らが輩出されました。
しかし、京都の朝廷から派遣された陸奥守・藤原登任との争いとなり、俘囚長・安倍頼時の次男である安倍貞任のとき、厨川柵の戦いにて敗れました。
生き残った子孫は、奥州藤原氏、奥州・安倍氏、安東氏などと繋がり、その末柄には安倍晋三総理大臣もおられます。

しかし、秋田を治める権力者は、その後も「秋田城」の名称・官職名としての「出羽城介」(でわじょうのすけ)、「秋田城介」(あきたじょうのすけ)と称しました。
また、鎌倉時代になると「秋田城介」は北方を鎮護(ちんご)する役職名になっており、武門の名誉となっていき、安東氏などが朝廷の許可を得て使いました。
戦国時代には、織田信長の子・織田信忠も出羽介から、秋田城介へと昇進していますので、どれだけ名誉だったのかよく分かります。

秋田城への行き方

秋田城への交通アクセスですが、JR秋田駅からバスで約20分、護国神社入口バス停下車し、徒歩約7分となります。
無料駐車場がある場所は、当方のオリジナル東北地図にてポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。


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ボランティアガイドさんもいる、見学案内所に、続日本100名城のスタンプも置いてあります。

なお、近くに秋田城跡歴史資料館もありますので、ご興味がある方にはお勧めです。
また、秋田市には、佐竹氏が使用した久保田城も見どころです。
このあとは、出羽・湊城に寄りました。

払田柵 雄勝城 古代城柵に魅せられる国史跡
志波城 大和朝廷の陸奥における最北端・最前線基地
5分でわかる坂上田村麻呂とは
陸奥・衣川柵(並木屋敷) 安倍頼時と安倍貞任
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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