檜山城(ひやま-じょう)は、秋田県能代市の檜山集落にある標高140mの霧山が本丸で、比高100mの山城になっており、別名を霧山城、堀内城とも言います。
近くにある大館跡、茶臼館跡、国清寺跡とあわせて、国指定史跡・檜山安東氏城館跡(ひやまあんどうしじょうかんあと)と呼ばれています。
特に檜山城は、東西1.5km、南北0.9kmと広大な山城で、堀切や段築を用いて要害になっています。
檜山城の写真を掲載しながら、檜山城の歴史を中止にご紹介いたします。
下記は檜山城への登城口で、左側の細い道に入り、更に左折して舗装路を登って行きます。
下記はその登城路ですが、前日からの雨で、だいぶ枝が落ちていました。
途中で、木の枝がレンタカーの下部にはまってしまい、撤去するのに難儀でした。
檜山城の最初の築城は1432年に十三湊の安藤康季が改修したともされます。
しかし、安藤康季は、1442年に南部義政から攻撃を受けて、青森から蝦夷地(北海道)に逃れています。
その後、南部家より葛西秀清がこの付近を領したようですが、安藤義季も1453年に南部家の戦いで敗れて自害し、安東氏の宗家・下国家が滅びます。
1456年、秋田郡の領主・安東尭季(安東惟季)の招きに応じ安東政季・安東忠季の父子が奪還し、出羽・檜山城(檜山館)を本拠としました。
檜山城は、また失われる事が無いように大改修されて、1495年、安東忠季の代に完成し、1504年には檜山安東氏の菩提寺・国清寺(現在の国清寺跡)も創建されたと言います。
檜山安藤氏(安東氏)は、安東尋季、安東舜季と続き、知勇に優れた安東愛季が登場します。
安東愛季は長く分裂していた湊城主である湊系安藤氏を統一し、大館城の浅利則祐・浅利勝頼を臣従させて、羽後最大勢力へと拡大しました。
織田信長が台頭してくると、1573年から毎年、織田家に貢物を送っており、本能寺の変のあとには羽柴秀吉と誼を通じました。
1587年、安東愛季が病死すると、12歳の次男・秋田実季が家督を継ぎましたが、従兄・安東通季(豊島城主・豊島通季)が「上国湊安東氏の復興」を掲げて反乱を起こします。
一時、秋田実季は脇本城を捨てるなど追い込まれまて、檜山城にて5ヶ月間籠城しましたが、南部氏が侵攻したため和睦します。
その後、由利十二頭の赤尾津・羽川氏の援助を得て豊島勢を挟み撃ちし勝利しました。
豊臣秀吉の朝鮮攻めでは、安宅を建造するため材木や、伏見城の築城に使う建材を運搬などしています。
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1598年、秋田実季は土崎の湊城に本拠を移し、檜山城には秋田実季の弟・秋田英季や、重臣・大高康澄(大高相模守康澄)が入りました。
1600年、関ヶ原の戦いのあと、秋田実季は常陸・宍戸に転封となり、1602年、久保田城に入った佐竹家の家臣・小場義成が檜山城主となりました。
慶長15年には、藩主・佐竹義宣の弟・多賀谷宣家が1万石にて檜山城に入ったため、小場義成は大館城に移っています。
このとき、佐竹宣家は大規模な改築を行いましたが、1620年、一国一城令により廃城となります。
ただし、多賀谷氏は廃城後に茶臼山に館を築き、その周囲に家臣を置きました。
その場所は「多賀谷居館跡」とも呼ばれていますが、このように檜山にて代々続き、廃藩置県まで政治や文化の中心として役割を果たしました。
このように、檜山城は、秋田北部を支配した戦国大名・安東氏の出羽・湊城、脇本城と並ぶ三大拠点でした。
登城口の手前にある浄明寺には、1634年建造の、檜山城の移築門・薬医門が現存します。
また、境内には、1583年に安東愛季が檜山城に招き、松前慶広(蠣崎慶広)に殺害された、浅利勝頼の首塚もあるそうです。
雨の中、訪問してみましたが、ご近所に犬に吠えられてしまったため、発見できずにそそくさと退散致しました。
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米代川の支流である檜山川南に位置する霧山に築かれている山城で、堀切も多いです。
本丸の近くまで、車で登れまますので、訪問は便利です。
ただ、本丸のあたりは、ヘンな言い方をすれば普通の山城なのですが、その奥の方まで足を延ばしていくと、技巧もある変化にとんだ縄張りになっているのがわかります。
尾根は馬蹄形になっており、まさに天然の要害と言える山城です。
また、高台ですので、景色も綺麗に見えます。
なお、支城である大館には、アイヌの砦の特徴があり、チャシを改良したと推定されています。
ゴールデンウィークには、多宝院の枝垂れ桜など、檜山桜祭も開催されており、花見も良い場所のようです。
交通アクセスですが、本丸近くまで登って入って、クルマを止めた場所を当方のオリジナル地図にてわかるようにしてあります。
ただ、上には駐車場があると言う事ではなく、路肩に止めると言う感じでした。
夏場は、熱中症などにご注意頂けますと幸いです。
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