秋田県

出羽・豊島城(豊島館) 畠山重村(豊島重村・豊島休心)と湊合戦

出羽・豊島館

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出羽・豊島館(としま-だて)は、秋田県秋田市にあり、別名を桑木城、豊島城、戸島館とも言う標高85m、比高78mの山城です。
戦国時代に入った1504年、檜山城の安東氏に滅ぼされた黒川肥後守なる武将が築いたのが始まりとされ、最初は桑木城と呼ばれました。
しかし、下浜の羽川氏に敗れて落城したとあります。

そのあとすぐ、1506年に、畠山重村(はたけやま-しげむら)が入って、豊島郡三百歩を領したとされます。
ここでも出てきましたね。
鎌倉時代に、埼玉県の武蔵・菅谷館にて、武蔵最大勢力を誇った、畠山重忠の子孫であると称していますが、もちろん諸説あるでしょう。
畠山重村は飛騨から移住したともされ、一族12家200名を率いて、豊島荘に入ったと言う文献がありますが、落ち延びて来たともされます。
出羽・湊城の安東堯季を頼ったのでしょう。


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なお、城の名前は「豊島館」になっており、豊島重村(豊島玄蕃頭重村)と名乗り、晩年、出家すると豊島休心(としま-きゅうしん)と称しています。
このこともあり、武蔵・練馬城や、石神井城に関連する豊島氏の一族であったとも考えられます。
太田道灌に滅ぼされた武蔵の豊島氏も、畠山氏を先祖としますが、畠山氏は、室町幕府で管領を務めたり、能登で戦国大名になったり、全国に派生していますので、飛騨の説もおかしくはありません。
朝廷とのつながりも重視していた安東氏ですので、その付き合いから、畠山重村(豊島重村)が出羽に赴き、領地をもらえたと言う事は十分に可能性としてあるかと存じます。

豊島重村は奇襲が得意だったようで、、近隣の豊巻氏(安東一族)や白根氏、平尾鳥氏、種沢氏らを奇襲攻撃し、秋田南部を平定しました。
また、出羽由利郡の由利十二頭のひとり仁賀保氏の娘を正室に迎えるなど姻戚関係でも関係を強固にしています。
そして、雄物川(おものがわ)の水運を利用した交易を独占し、安東氏や小野寺氏と対等に渡りあったとも伝わり、安東家の重臣になったようです。

しかし、安東堯季の娘が檜山城の安東舜季の元に嫁いで、下国家(檜山安東氏)と上国家(湊安東氏)が接近するようになります。
そして、安東堯季には子がいなかったため、檜山安東氏である安東舜季の子・安東茂季が湊安東氏に養子入っていました。
1551年、安東堯季が死去すると、安東茂季が家督を継ぎますが、兄・安東愛季の傀儡に過ぎず、実質的に、上国家(湊安東氏)は下国家(檜山安東氏)に吸収されました。
そして、安東家は、秋田の土崎港を改修し交易の統制を強化します。
現在、川の流れは変わっていますが、戦国時代、出羽・豊島城の雄物川下流域にあったのが、湊安東氏の拠点・湊城です。
下流で交易権を抑えられてしまうと、豊島氏は生活物資すら入手が困難になる恐れがあり、当然不満が募ります。
白華城を奇襲して落城させたり、豊島重村(豊島休心)は、羽黒山から出羽にきた神札配布の使者を、豊島領に引き止めて、安東愛季への神札の配布を取り消すよう求めました。

そのため俗にいう「湊合戦」(1570年からの第二次湊騒動)となります。
安東愛季と安東茂季の攻撃に対して、豊島重村(豊島休心)は下刈右京、川尻中務、仙北の横手城主・小野寺景道角館城主・戸沢道盛らと対抗しました。

戦いは約2年続いたとされ、推古山にて最後の激戦となり、敗れた豊島休心は舅である山根館の仁賀保氏を頼って逃れています。
諸説ありますが、秋田の支配を確固たるものにした安東氏は、安東愛季が湊城に移り、安東茂季は湊城から豊島城に移動させられました。
そして、安東愛季は更に大宝寺義氏を圧倒して、由利地方も勢力下に抑え、雄物川流域の支配権を巡り戸沢氏との戦いに向かいます。
ただし、豊島重村(豊島休心)は許されて、1579年に再び、出羽・豊島城に復帰したとされます。
しかし、1579年に、安東茂季が死去し、子の安東通季(豊島通季)が家督を継いでいますので、どちらが豊島城主であったのかは不透明です。

出羽・豊島館

安東愛季が死去して、嫡子・秋田実季が後を継ぐと、豊島城の安藤茂季の子・安東通季(豊島通季)は、1589年に反乱を起こします。
この安東通季(豊島通季)の軍勢は、豊島勢と呼ばれることがあります。
この頃、豊島休心は既に亡くなっていたようで、子の豊島重氏は、まだ幼い秋田実季に味方しました。
こうして、湊合戦(第三次湊騒動)になりますが、盗賊武将として悪名が高い羽川義植(はねかわ-よしたね)によって、豊島重氏は討たれました。
しかし、これが正しいとなると、羽川義植は秋田実季についたとされますので、豊島重氏は、安東通季と秋田実季のどちらに味方したのか?、それとも途中で寝返ったのか?など、とにかく不明瞭な点が多いです。

いずれによせ、秋田実季は、戦功があった羽川義稙に、出羽・豊島城主が与えました。
しかし、赤尾津城主・赤尾津家の2男・赤尾津九郎の計略によって、大曲の攻略に失敗し、本拠地・羽川新館が落城して、羽川氏は滅亡しています。
羽川義稙は郎党と共に落ち延びて仙北にて帰農したと伝わります。


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赤尾津九郎は、名を羽川主膳正九郎と改めて仁賀保城を拠点とし、豊島館には弟・赤尾新内?が入って豊島殿と呼ばれたとされます。
なお、赤尾津氏の名前は判然としない部分が多々あり、異なる可能性もおおいにあります。
その後、出羽・豊島館がどうなったのかは不明です。

今回、クルマ止める場所がないとの事前情報を得ていたため、登城までは致しませんでした。
次は、出羽・舞鶴館に向かっています。

安東舜季とは
出羽・湊城 戦国時代には湊安東氏の居城
横手城 小野寺氏が本拠地にした出羽の拠点
小野寺輝道(小野寺景道)とは
赤尾津城(天鷺城) 赤尾津二郎の本拠地
出羽・舞鶴館(大平城) 一部勝景と永井広治(大江広治)
檜山城 広大な檜山安東氏城館跡 紅葉の様子も
角館城 6歳で家督を継いだ戸沢道盛の復活劇
安東愛季 安東氏を大きく飛躍させた戦国大名
日本全国のお城のある場所がわかるオリジナル地図


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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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