京都府

上宮津城 盛林寺にある明智光秀の首塚も

上宮津城

丹後・上宮津城(かみやづ-じょう)は、別名を喜多城、小倉城とも言う山城で、標高は98m、比高は80mになります。
最初の築城などはもちろん不明ですが、一色氏の時代には、大久保山城主ともされる小倉播磨守、小倉玄蕃允などが上宮津城主だったと伝わります。

本丸は山頂の南端部にある最高所で、切り立った崖になっています。
北尾根へと繋がる二郭は南北に長く、北端には神社があります。
主郭の周囲は帯曲輪で巡らされており、二郭の西下からは北側へと続いているそうです。

上宮津城

上宮津城から川を挟んだ対岸に、盛林寺(せいりんじ)があります。

丹後・盛林寺

戦国時代の1577年に、丹後守護一色家の重臣である上宮津城主・小倉播磨守が菩提寺として創建した寺になります。
一色義定の位牌も納められているそうです。

宮津・盛林寺

この小倉氏は、1578年に細川藤孝が上宮津城を攻めた際に討死しています。
上宮津喜多城の戦いと言うみたいです。

宮津・盛林寺

盛林寺には、悲劇の武将・明智光秀の供養塔があります。

明智光秀の首塚

この宝篋印塔首塚とされ、大久保山城にいた細川ガラシャに送られ、供養したと推定されているようです。
ただ、現実的に、謀反人の首が細川家に届けられることは無いでしょうから、あっても遺髪か何かなのかも知れません。
盛林寺は、もともとは宮津の大久保城近くにありましたが、1603年に移転したと言います。





明智光秀の首塚としては、他には丹波・神尾山城から近い谷性寺と、京都・東山の明智光秀首塚碑にもあります。
あとは、明智光秀が命を落としたとされる明智薮の北にある山科区の勧修寺町に「明智光秀之塚」の石碑があり、明智光秀の「胴塚」とされています。

あと、明智光秀の首塚の右わきには、新しいものですが、一色氏の供養碑もありました。

一色氏の供養碑

なお、盛林寺にある一色義定の位牌には、同じその位牌に、明智光秀の名も刻まれていることから、明智光秀の首塚は、一色義定の墓とする説もあるようです。





交通アクセスですが、上宮津公民館の駐車場などを拝借できるようです。
KTR宮福線の喜多駅からは徒歩10分程度でしょうか?
上宮津城への登城口は数馬神社の参道から登っていく感じです。

宮津城とセットでどうぞ。

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丹後の史跡巡りにも便利なオリジナル地図

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