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猪子石城 ここにも小牧長久手の戦いに関与した名古屋の城が

猪子石城

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猪子石城(いのこしじょう)は、名古屋市名東区神月町にある平城です。
尾張・小幡城龍泉寺城を訪問してから、国道302号にて途中、名鉄・瀬戸線の踏切付近で渋滞にはまりつつも、出来町通りをちょっと走ったら、たどり着きました。

香流川の北岸で微高地となっている、現在の月心寺が城跡だと考えられますが、遺構は失われているようです。
かつては、2重の堀もあったと伝わり、東西約90m、南北110mの規模だった模様です。

この辺りは、室町時代前期に遠江(静岡県・旧菊川町)から移った横地氏の領地です。
横地城主・横地秀綱が、将軍・足利義政の命を受けて移り住み、植田城を本拠としました。


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その天白植田城の分家となるのが、猪子石城の横地氏で、5代・横地秀次(横地主水正秀次)の名が見受けられます。
植田城主・横地秀重の弟が横地秀次ともされます。(諸説あり)
横地秀次は織田信雄の家臣になっていて290貫文を知行していたとも。

猪子石城主・横地秀次は、1584年、小牧・長久手の戦いの際には、織田信雄ではなく羽柴秀吉に味方して、池田恒興の案内役を務めました。
しかし、池田勢が徳川勢に敗れると、そのまま美濃(土岐市曾木町)に逃亡して土着したため、猪子石城は廃城になったようです。
※香流川の戦いで、横地秀次は討ち死にしたとも。
ご子孫に伝わる話ですと、猪子石城は、徳川勢によって焼失したともあるようです。

猪子石城

付近の民家には、戦死者を祭った「痔塚」が残っていますが、横地塚が偏移したものとのことです。
ただ、痔の病気の方がよくお参りに来ていた模様です。

それにしても、名古屋市は都市部にしては細かいお城(館跡)が多いと言う印象を受けます。
現在の日本の大都市と申しますと、東京を筆頭に、大阪、福岡とあります。
しかし、東京23区も大阪市も、福岡市も、市街地に城跡は少ないです。
そもそも、戦国時代に城(館)があまりなく、東京や大阪は江戸時代になってから栄えた訳ですが、那古野(名古屋)は、昔から多いに栄えていたため、とても豊かで城跡も多かったと言えるでしょう。

そのため、今回、名古屋での講義があり、たまたま出張となった前日に少し回らせて頂いたのですが、レンタカーは小回りがきく「軽自動車」(スズキ・ハスラー)にしました。

スズキ・ハスラー

コイン駐車場に運良く止められれば良いですが、ヘタをしますと狭い道を行ったりきたりになると予測したためです。
実際に、荒子城のところ、荒子観音寺から抜けていったときには、軽自動車でないと無理な狭い道がありましたので、助かりました。
地方のように移動距離が長くないのは助かりますが、いかんせん、名古屋市は細かい城の数が多すぎです。
制覇するのには、まだまだ日数が必要なようでして、あと最低限2回か3回(合計6日間程度)は名古屋に訪れないと無理そうです。
名古屋周辺も魅力あるところが多く、美濃や伊勢も疎かにできないですし、なかなか興味深い土地ですが、まさに難攻不落です。

猪子石城跡には駐車場がないうえに、保育園もあり、あまり不審な行動が取れませんでして、ある意味、難攻不落でした。

名古屋の皆様、愛知県の皆様、是非、このサイトにお城のご寄稿をご検討頂けますと非常に助かる次第です。

織田信雄~織田信長の次男のその生涯
龍泉寺城(竜泉寺城) 短期間使用の貴重な戦国の城跡
尾張・小幡城 小牧長久手の戦いでの徳川家康の素早い行動
荒子城 幼少期から過ごした前田利家の原点あり
池田恒興~清洲会議における宿老の1人
下社城 柴田勝家が生まれたとされる城(館)
日本全国にある城跡便利地図


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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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