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下社城 柴田勝家が生まれたとされる城(館)

下社城

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尾張・下社城(しもやしろ-じょう)は、名古屋市名東区猪高町一社にある平山城で、標高は48.8mです。

下社城の築城時期は不明ですが、柴田勝直(柴田伊賀守勝直)が文明年間~永正年間(1460年~1500年頃)に築城したともされます。

柴田勝直は、柴田勝義ともされ、イマイチ、柴田家はよくわかっていないのですが、柴田勝義は上社城主であったともされます。
ここでご紹介するのは、下社城ですので、近くに上社城(前山城)があったのでしょう。
地下鉄に「上社駅」と言う駅もあります。


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そして、柴田勝直(柴田勝義)の子とされる、柴田勝家は、下社城で生まれました。

下社城

ただし、柴田勝直は柴田勝家の弟ともされ、よくわかっていないため、諸説あります。

ともあれ、下社城は柴田勝家の生誕地として知られます。

下社城は西を流れる天白川が天然の堀で、内側は一重堀で囲まれた54m四方の方形の城であったと伝わります。

下社城

そもそも、柴田家の出自はよくわかっていません。
一説によると、尾張守護斯波氏の一族だったとされ、斯波高経から4代の孫・斯波義勝が越後の新発田城主になったときに「柴田」を称したのが始まりとされます。(確実性はともかく)

柴田勝家は、少年の頃から織田信秀(織田弾正忠信秀)に仕えており、織田信秀が亡くなったあとには、織田信行(織田信勝)の家老となっていました。
稲生ヶ原の戦いでも、ここから出陣したのかはよくわかっていませんが・・。

その後、織田信長のもとで、柴田勝家(柴田権六)は筆頭家老となる大活躍を見せたのは、皆様ご承知のとおりです。
そして、1575年、越前一向一揆平定の功績によって、越前49万石となって、北ノ庄城を築いて移りました。
このとき、柴田家の一族も、福井に移転したと考えられ、養子の柴田勝豊丸岡城に入っています。
そのため、下社城はこの時に廃城になったとされています。


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現在、下社城跡には明徳寺が構えていますが、江戸時代の1662年に移転したものとなります。
明徳寺の階段少し登った山門前には「柴田勝家公誕生地」の碑と案内板があります。

交通アクセスとしては、名古屋市営地下鉄・東山線「上社駅」下車で徒歩10分といったところです。
駐車場は見当たりませんでした。
当方のオリジナル地図ポイント地点で、城跡の場所がわかるようにしてあります。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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