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尾張・小口城の解説~織田信長美濃攻め前哨戦

小口城

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尾張・小口城とは

小口城(おぐち-じょう)は現在の愛知県丹羽郡大口町に建てられた東西約50間(約90m)南北約58間(約105m)の曲輪に二重の堀と土塁が廻らされた平城で、大久地城、箭筈城(やはず-じょう)とも呼ばれています。

尾張北部は濃尾平野の中に木曽三川と呼ばれる木曽川、長良川、揖斐川の3本の川を始めとした何本もの川が流れており、水の供給と物流の運搬に使用されていました。


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小口城は五条川河畔に築かれており、上流は犬山から小牧を経由して名古屋北部に出る稲置街道に繋がり、下流に進むと守護所として栄えた清州城(きよす-じょう)へと繋がり、西には岩倉城、東には後に織田信長(おだ-のぶなが)が築く小牧山城を望む要地に位置し、織田氏が尾張一帯を支配経営する上で重要な拠点の一つであったと思われます。

小口城模型
〇大口町立歴史民俗資料館に展示されている小口城の模型

歴史

長禄3年(1459年)尾張守護斯波氏の配下として尾張上四郡を支配していた岩倉城(いわくら-じょう)の織田敏広(おだ-としひろ)は弟の織田広近(おだ-ひろちか)に命じて小口城を築かせ、岩倉城の西側備えとしました。

応仁元年(1467年)応仁の乱が起こると、織田敏広と織田広近の兄弟は管領で尾張守護を兼任する斯波義廉(しば-よしかど)に従い西軍に所属し、東軍として参戦した斯波義敏(しば-よしとし)を擁して尾張下四郡を支配する織田大和守当主の織田敏定(おだ-としさだ)と対立して抗争を繰り広げます。

文明元年(1469年)に入ると美濃の斎藤氏との間に緊張が増してきたため、織田広近は小口城から北に5km程進んだ木曽川河畔にある乾山の南麓に木ノ下城(きのした-じょう)を築城して移り住み、乾山の上には見張り砦を築いて対岸の美濃を監視する事になりますが、文明7年(1475年)には息子の織田寛近(おだ-とおちか)に家督を譲り、小口城に隠居所を構えました。

木ノ下城
○木ノ下城

時は下り、永禄4年(1561年)家督を継いだ織田信長は美濃の斎藤龍興(さいとう-たつおき)との抗争が激化する最中、要地の墨俣とその北方にある十九条に砦を築き、西方から稲葉山城を圧迫する事を試みます。
砦を築かれた事を察知した斎藤龍興は、即座に出陣したため、織田・斎藤の両軍は十四条の地で対峙します。
後のない斎藤軍の攻撃は凄まじい物があり、織田信長の従兄弟で姉を正妻としていた犬山城(いぬやま-じょう)主である織田信清(おだ-のぶきよ)の弟で、十九条の砦を任されていた織田信益(おだ-のぶます)を先陣に立てて攻撃させますが、斎藤軍によって討ち取られてしまいます。

織田信長は追われる織田信益の軍を残して軽海まで後退し、軍を立て直して斎藤軍に再び対峙。真木村牛介を敗退させ、池田恒興(いけだ-つねおき)と佐々成正(さっさ-なりまさ)がふたりがかりで稲葉一鉄(いなば-いってつ)の叔父にあたる稲葉又右衛門を討ち取るなどしたため斎藤軍は撤退し、織田軍も墨俣砦まで兵を引いたと伝わっています。


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引き分けに終わったかに思われた戦いでしたが、以前より領地の配分で不満を持っていた犬山城の織田信清は弟を見殺しにされたと思い、織田信長から離反して斎藤家と縁を結んだため、小口城や黒田城などの支城も反旗を翻します。
これに対し、織田信長は織田信清の家老で小口城主を務める中島豊後守の調略を試みますが、失敗に終わったため力攻めを開始します。
信長軍は小姓衆が中心となり小口城の城壁を打ち破って城内に侵入しますが、小姓の中でも「隠れ無き器用の仁」と称された岩室長門守が討ち取られたため、小口城から撤退する事となりました。

小口城攻略に失敗した織田信長でしたが、永禄6年(1563年)に入ると美濃攻略に向けて本拠地を清州城から小牧山城に移し、尾張北方の反信長勢力を圧迫していったため、小口城も膝を屈し廃城となりました。

楽田城看板
○楽田城

一旦は歴史の舞台から姿を消した小口城ですが、天正12年(1584年)豊臣秀吉織田信雄・徳川家康の間で小牧長久手の戦いが勃発。
豊臣秀吉は楽田城に本陣を置き、徳川家康は小牧山城にて対峙します。
この時、豊臣軍の稲葉良通(いなば-よしみち)が小口城跡に布陣しており、城跡の西に位置する小口神社境内に残る土塁跡と呼ばれる物は、この時に整備されたと思われます。

小口城土塁
○土塁

交通アクセスと登城

小口城の中心部は小口城址公園として整備保存されており、南側には無料駐車場も存在します。

・小口城址公園
丹羽郡大口町城屋敷1-261

城内には展示室と物見櫓がありますが、開館は土日祝のみで9:00~12:00、13:00~16:30(入館は16:00まで)となっています(2023年8月末現在)のでご注意ください。

小口城物見櫓
○物見櫓

城址公園の西には小口神社が隣接しており、境内の小高い部分は土塁跡となります。

展示館内には織田氏と小口城の関係を示す資料が展示されており、尾張北方各城の位置関係を示す模型などもあるため、訪問した際にはぜひ入館をお勧めします。

尾張北方の各城

○尾張北方各城の位置関係を示す模型


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その他関連施設等

・大口町立歴史民俗資料館
丹羽郡大口町伝右1丁目35

・木ノ下城
犬山市犬山愛宕16

・楽田城
犬山市城山48

(寄稿)だい

尾張・楽田城の解説~文献上最も古い天守があった小牧長久手の戦い前哨戦
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だい

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愛知県在住の会社員です。
休日には県内の城巡りをしており、愛知県内にある1,300以上ある城館を全て制覇する事が当面の目標。
モットーは「どんなマイナーな土地にも歴史はある!」
愛知県出身の有名武将は数多く存在しますが、それ以上にマイナーな武将や城も多数存在しています。
そんなマイナーな武将やお城を歴史好きの皆様にご紹介できるような記事を書いて行きたいと思います。

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