三重県

安濃城の解説~細野藤敦が築いた山上の城郭

安濃城

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安濃城

 

安濃城(あのうじょう)は三重県津市安濃町安濃にある平山城で標高は55m、比高40mほどになる。
最初の築城は不明だが、戦国時代の弘治年間(1555年〜1558年)に細野藤光が築いたとされる。
すぐ北の藤塚山(標高72m)は藤塚山城とあるので物見用の砦か?


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細野藤光(ほその-ふじみつ)は、伊勢・長野工藤氏14代当主である長野稙藤の子(長野藤定の弟)で、一族の細野氏を継いで伊勢・細野城(長野氏城址・中の城)を居城としていた。
妻は峰道正の娘で嫡男・細野藤敦がいる。

細野藤敦

細野藤敦(ほその ふじあつ)は戦国時代の武将で1541年に細野藤光の子として生まれた。
母は峰道正の娘。
長野宗家に従い宿敵・北畠家や、関氏・神戸氏らとの戦いに明け暮れており剛勇の武将として知られる。

永禄元年(1558年)、伊勢・長野城の本家・長野藤定が北畠具教に屈して和睦すると、北畠具教の次男・長野具藤を養子に迎えて家督を譲った。
そのため、細野藤敦の主君は長野具藤に変わったが仲が悪かったとも言う。
その頃から、細野藤敦は安濃津城を新たに築城したといわれる。
ちょっと、ややっこしいのだが、この新たに築いたと言う安濃津城は、現在の伊勢・津城の事で、安濃川の下流にある安濃津に小さな砦のような支城を築城したと言う事になる。
安濃津城は、安濃城ではありませんので勘違いしないよう注意が必要だ。
ただし、それだけ広大な領地だったのには驚きと言える。

1560年、父・細野藤光が没すると細野藤敦が家督を継いだ。
細野藤敦(細野九郎右衛門藤敦)は安濃城を拡充させ、家臣の屋敷などを配置したとされる。
特に山上の城郭の中に居館を設けているのは伊勢では珍しい。

安濃城

1568年、岐阜城織田信長が侵攻すると、和睦を唱えた弟・分部光嘉(伊勢・上野城)らの反対を押し切り、細野藤光は安濃城にて抵抗しようとした。
しかし、伊勢・上野城主である分部光嘉や川北藤元らは織田家に内応し、織田信包に長野工藤氏を継がせるよう画策。
この時、細野藤敦が織田家に寝返ったとの噂が出て、長野具藤が安濃城へ攻め寄せたため、細野藤敦はやむなく長野具藤を撃退・追放。
罠にはまったような形で長野一族の中で孤立した細野藤敦は織田家に降伏した。
織田信包は長野氏の養子となって一時、長野信良を称し、1569年10月、伊勢・伊勢・大河内城が落城し北畠氏が織田信長に臣従すると、織田信包は伊勢・安濃津城主に任命されている。
のち織田信包は織田姓に復帰。

1570年、織田信包は工事開始した伊勢・津城(安濃津城)の仮城として分部光嘉に伊勢・上野城を改修させた。

1576年、三瀬の変と呼ばれる変事にて織田勢は伊勢・三瀬館に隠居していた北畠具教や家臣ら40数人が殺害し、伊勢・田丸城に呼び出された長野具藤も同時に殺された。
この事件で次は我が身と感じたのであろう。
天正5年(1577年)、織田信包が年賀の挨拶で不在した際に、細野藤敦は謀反を起こし伊勢・長野城を奪ったとされる。
しかし、滝川一益に攻められたようで、滝川一益の子・滝川八麿を養嗣子ら迎えることで和睦し織田氏に臣従した。

天正8年(1580年)長野氏一族の排除を画策した織田信包が安濃城を攻撃したため、伊勢・長野氏一族の支援も受けられない細野藤敦は城に火を放ち津市の専修寺に逃れて隠居。
のち伊勢に蒲生氏郷が入ると頼ったようで奥州などで転戦したが、蒲生氏減封後は豊臣秀吉に仕え、側室・松丸殿や大政所の家司を務めている。
<注釈>伊勢・長野氏一族の雲林院城主・雲林院出羽守も伊勢から逃れている。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで細野藤敦は石田三成に味方したため所領没収。
慶長8年(1603年)細野藤敦は京都にて死去した。享年64。


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安濃城主・細野氏の子孫は、江戸時代に京都の豪商・荒木家として成功し、荒木光品が、享保20年(1735年)に本丸跡の阿由多神社に大般若経600巻を奉納した。

交通アクセス

伊勢・安濃城への行き方だが一身田駅から約5km、徒歩60分くらいと遠い。
駐車場もないので登城は断念したが、登城口は当方のオリジナル地図「名古屋・北陸」方面にてポイントしている。
なお、登城口の鳥居の先に軽自動車であれば止められるらしい。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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