宮崎県

月山日和城(三俣院高城)~霧島連山や桜島まで望むめると言う重要拠点

月山日和城(三俣院高城)

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月山日和城(がっさんひわじょう)は、宮崎県都城市高城町にある比高15mほどの平山城で、別名は「高城」「三俣院高城」と呼ばれる日向三高城(高城・穆佐院高城月山日和城)のひとつです。

旧高城町は、かつて日下部氏により統治された三俣院と呼ぶ荘園があり、その院庁がこの地に置かれていました。
「院」(いん)と言うのは、献上米を収める垣の中に囲まれた倉庫を、当時「院」と呼んでいた為です。

南北朝時代の元弘年間(1331年~1334年)に、肝付兼重(きもつき-かねしげ)が高城を整備したとされた「三俣院兼重本城」となった模様です。
ただし、この三俣院兼重本城があった場所は諸説あり、肝付兼重は三俣殿と呼ばれていることから、高城町石山の「三俣城」を肝付兼重の城とする説もあるようです。


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1339年8月、野辺盛忠や伊集院忠国らと南朝方であった肝付氏8代当主・肝付兼重は強大な勢力でしたが、北朝方の畠山直顕の大軍によって敗れて月山日和城も落城し、高山郷(日向・野尻城)へ逃れます。

その後、月山日和城は日向守護職の畠山直顕(はたけやま-ただあき)が城主となりますが、1358年11月、肥後の南朝方である菊池武光が4000にて、日和城と石山城を攻撃し、畠山直顕とその子・畠山重隆は川原の戦い破れて敗走しました。
こうして和田氏の所領となりますがやがて、島津氏の支配下となります。
そして、日向で勢力を伸ばした伊東家は、度々、月山日和城を狙うようになりました。

三俣院高城

そのため、1495年、豊後の大友政親の仲介により、島津忠昌と都於郡城主・伊東尹祐は和睦します。
この時、飫肥・三俣の交換が行われ、月山日和城は伊東氏の持ち城となり、八代長門守が城主となりました。
この八代長門守は、伊東祐量だと考えられます。

月山日和城(三俣院高城)

1532年、島津勝久は伊東祐充の8外城を奪回する為、都之城主・北郷忠相飫肥城の島津忠朝、飯野城主・北原久兼と共に日和城を攻めます。
7城を落とすと、日和城を攻撃して「大楽の戦い」となり、城主・伊東祐量を討ち取りますが、三俣院高城(月山日和城)は落城しませんでした。
伊東祐充は、新たに落合兼佳(落合刑部少輔兼佳)を日和城に配置します。

月山日和城

しかし、伊東氏も光景争いで混乱し、落合兼佳は、1534年(天文3年)に北郷氏に内通したため、月山日和城は北郷氏の領有となりました。
このとき、北郷忠相は都之城を長男・北郷忠親に譲ると、日和城に入っています。
ただし、もともと月山日和城(高城)を領していた志和池城主・北原久兼は面白くありません。

1541年6月16日、北原久兼は、伊東義祐の援軍を得て、北郷忠相と諏訪馬場で争い「諏訪馬場の戦い」となります。

諏訪馬場の戦い

北原久兼は敗れますが、1542年8月にも、大楽(だいらく)にて北原氏・伊東氏は、再び北郷忠相と戦いますが、今度は都之城の北郷忠親の挟撃に合って再度敗れました。
北原家は白坂下総守、澁谷兵庫など重臣以下700名を失っています。

月山日和城(三俣院高城)

豊臣秀吉による九州攻めのあと、北郷忠虎が朝鮮攻めにて病没すると、都之城8万石は伊集院忠棟に与えられます。
しかし、1599年、伊集院忠棟が伏見で島津忠恒に討たれた際には、その子・伊集院忠真が月山日和城も含む都之城12外城に籠城して島津宗家と争う「庄内の乱」となります。
この一帯でも戦闘があったようで、高城大楽の戦いにて、島津勢は300の死者を出し、討死した島津家臣・中原中常坊(なかはらちゅうじょうぼう)の供養碑もありました。

中原中常坊の供養碑

結果的に、伊集院忠真は、徳川家康の調停を受け入れて島津家に降伏します。
その後、伊集院忠真は再起を図るため熊本城加藤清正に密書を送ったとして、関ヶ原の戦いの前に、加藤清正は熊本で謹慎となった訳です。

その後は再び、北郷氏の支配になった模様ですが、元和の一国一城令にて廃城となりました。

シラス台地の端の部分に造り出された池の城・内の城・真城・本城・中の城・樽原・取添の7つの曲輪(くるわ)からなります。

日和城

しかし、この模擬天守は、犬山城の天守閣にとてもよく似ています。

月山日和城

なお、現在の模擬天守がある場所は、池ノ城と言う郭であり、本城の区画は削られるなど改変されてしまっているようです。
中ノ城の部分は高城神社が建っています。

交通アクセスですが、JR日豊本線の都城駅からバスで20分、高城上町バス停下車となります。
クルマの場合には、西側の道路沿いに無料駐車場が用意されています。
下記写真は駐車場から月山日和城(三俣院高城)を撮影した様子です。

月山日和城(三俣院高城)

観光所要時間ですが、高城郷土資料館も見学しますと、約30分といったところです。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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