茨城県

常陸・大串陣営(大串の館・源護陣営)~常陸大掾の源護とは

常陸・大串陣営(大串の館・源護陣営)

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源護陣営(みなもとのまもるじんえい)は茨城県下妻市大串にある平城
下妻・大串陣営、大串の館など色々と呼び名があるが、平安時代中期には源護の所領だったようだ。

源護とは

源護(みなもとのまもる)は平安時代中期の武将で生没年は不明。
父母も不明だが、嵯峨天皇(786年~842年)の皇子が源信(まこと)、源常(ときわ)源融(とおる)、源弘、源定と臣籍降下していることから、その子孫と考えられる。
例えば、源信の子供だけで約50名いるので、たどるのはとても困難と言ったところ。
やがて嵯峨源氏も地方官となると、京にいても出世できないため、現地に赴任する者も出たとみて良いだろう。


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常陸大掾の源護と同じ時代の関東では、武蔵権介の源宛(みなもとのあつる)が見受けられる。
源護の本拠地は真壁であり、真壁町古城と言う住所があるためその範囲に城(屋敷)があったと推測できる。
ただし、現在の真壁城のところだったのか?はハッキリしない。
真壁の源護館としては現在の真壁城の奥の方に真壁城・現存土塁近くの鹿島神社の付近にあったと伝わる。

898年、平高望(高望王)が上総介になって千葉に赴任する。
そして、源護の娘は、平国香の妻、平良兼の継室、平良正の妻と、平高望(高望王)の子供3人に嫁いでおり強固な親戚となっている。
また、平国香が常陸大掾を継いだともされる。

そして、源護が新治・大國玉(茨城県桜川市大国玉)の大国玉神社神官・平真樹と領地の境界線争いになった際に、平真樹(たいらのまさき)は、娘・君の御前を、平将門に嫁がせ平将門を頼った。
<注釈> 平高望(高望王)の3男・平良将の子が平将門

こうして、源護と平真樹との争いは、更に平将門との争いとなり、935年2月4日、源護の子である源扶・源隆・源繁の兄弟は、真壁・野本(茨城県筑西市赤浜付近)にて平将門を待ち伏せした。
これが、平将門の乱の始まりとされる野本の戦いだが、赤浜堀の内(堀の内遺跡)と言う源護の屋敷も赤浜にもあったようだ。
ただし、下妻の大串陣営(大串の館)にて待ち伏せしたともされ諸説ある。

常陸・大串陣営(大串の館・源護陣営)

いずれにせよ、源扶・源隆・源繁は「陣」を張って平将門を待ったと言う。
将門記によると、平将門は風が順風となって矢が良く飛んだので勝利したとある。
源扶(たすく)・源隆・源繁らは討死した。

そして平将門は大串の館や高道祖(たかさい)を焼き払い、源護の本拠・真壁も焼き討ちした。
また、常陸・石田館にいた平国香も襲撃して焼死させている。
こうして、平将門の乱(承平天慶の乱)が始まった。

源護は逃れることに成功したようで、935年10月に娘婿の平良正が反撃して下総・豊田館などを攻撃するも敗走。
その後、平良兼と平国香の子・平貞盛も加わり平将門に挑むが敗れてしまった。
そのため、936年、源護は朝廷に対して告状を提出。
朝廷は平将門と平真樹を平安京に呼び出して検非違使庁で訊問したが、937年、朱雀天皇が元服したことで大赦となって全ての罪を許された。
その後、源護の名は見られないので死去したものと考えられる。

その間、水守営所(水守城)にて、平良兼、平良正、平貞盛が集まって平将門追討の軍議を行なっている。

平貞盛と平維幾の子・平為憲らは潜伏しながら度々襲撃していたようで、940年、平将門が5000の兵にての行方を捜索。
このとき、源扶の妻と平貞盛の妻を吉田郡蒜間(ひるま)の江(涸沼)にて捕縛したがのち解放している。

しかし、この大軍を遠方まで捜索に出していた隙を藤原秀郷が突いた。
藤原秀郷は平貞盛と共に4000にて豊田館を襲撃。
北山の戦いで平将門は討死した。


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村史千代川村生活史によると、常陸・大串陣営(大串の館・源護陣営)は現在の富士神社の辺りにあったようだ。
道路よりも5mほど高い微高地の先端にあったと考えて良いだろう。
1台程度の駐車スペースあり。

なお、吉見のほうに横山党の庶流・大串次郎館なる城跡もあるので混同しないよう注意が必要。

場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
大宝城とセットでどうぞ。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
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