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三河・久保城のちょこっと解説~奥平氏の古い城跡と奥平氏4代当主・奥平貞昌

三河・久保城

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三河・久保城

三河・久保城(くぼじょう)は、愛知県岡崎市石原町にある平山城で、標高は176m、比高30m程になる。
最初の築城は、額田町史によると1530年~1540年に、奥平貞久の子・奥平貞昌が築いたとされる。

三河・久保城

この場合の奥平貞昌は、戦国時代初期に松平清康に従っていた奥平氏4代当主・奥平貞昌(奥平道閑)であり、戦国後期に徳川家康の長女・亀姫を妻にして、織田信長から「信」の字を与えられ奥平貞昌から奥平信昌になった、同名の武将とは別人になるので注意が必要だ。

奥平貞昌とは

4代の奥平貞昌は室町時代の1451年頃、奥平貞久の子として生まれた。
その頃の奥平氏は、作手(つくで)の小豪族であったが、一族が7系統あるなどし勢力を伸ばした模様。
1505年には、今川氏親から遠江国浜松荘の一部を所領として加増されているのが伺える。


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1513年、引馬城主・大河内貞綱が尾張の斯波義達と結託して、今川氏親に謀反を起こした。
この際に、井伊谷城井伊直盛も呼応して三岳城に籠城して今川家に反旗を翻したので、掛川城主・朝比奈泰以と奥平貞昌は御嶽城(三岳城)を陥落させている。
井伊直盛は奥山城(実質的に方広寺)へ逃れて没落し、奥平貞昌が三岳城に入った。

松平清康が東三河の平定を進めると、享禄年間(1528年~1532年)頃、奥平貞昌と子の奥平貞勝は松平清康に従って宇利城攻めに参加した模様。
ただし、享禄年間(1528年から1532年)に額田郡の宮崎城にて隠居したともある。
没年は1535年で遠江・御嶽城にて85歳で病死したともされるが不明瞭だ。

家督は奥平貞勝が継いでいる。

1570年には、奥平一族を集めて、武田信玄につくか、徳川家康に味方するか?、久保城の密談を行ったともされる。

三河・久保城

戦国時代に領地争いが激化した頃、奥平氏は三河・亀山城に本拠を移したが、隣の亀穴城(三河・滝山城)も整備したようだ。

交通アクセス

三河・久保城への行き方ですが、場所などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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