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安房・勝山城の歴史解説~正木輝綱の里見水軍城

安房・勝山城

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安房・勝山城とは

安房・勝山城(かつやま-じょう)は、千葉県安房郡鋸南町(きょなん)にある山城(海城)です。
勝山港を見下ろす八幡山に築かれており、別名は、加知山城、勝山陣屋となります。
平氏案時代末期の武将である安西景益の居城と伝わりますが疑問点は残ります。
その頃、安西氏の本拠は、館山の内陸部になる安房・平松城だと考えられますので、念のため明記してきます。
ただし、1180年、石橋山の戦いにて敗れた源頼朝は、真鶴から海を渡り、北にある竜島海岸から安房に上陸したともされます。
そして、安西景益は、源頼朝の宿泊所を訪問して協力しました。


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諸説ありますが室町時代に里見義実が安房に逃れると、安西氏の世話を受けたようです。
そして、里見義実は安西氏を追放して安房の領主となり、安房・白浜城に入りました。
このとき、正木時盛(正木淡路守時盛)や、安西勝峰(安西式部大輔勝峰)なる武将は、里見氏に従って家臣となっています。

1547年、保田の地頭は正木弥五郎であり北条氏の調略に応じると、1554年には上総・峰上城の吉原玄蕃助ら22人衆を使って里見氏に反乱を起こしています。
その後、上総・金谷城にいた正木兵部大輔の子と考えられる正木輝綱(正木安芸守輝綱)が、安房・勝山城主であったとされます。
そして、里見水軍の拠点のひとつとして整備されました。

里見義尭の時代、安房・勝山城は安西又助が城主だった模様です。
安西又助(あんざい またすけ)は、岡本随縁斎と共に三浦三崎の戦いなど東京湾にて北条水軍と争いました。


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勝山陣屋に関しては江戸時代初期に里見氏が改易されたあと、内藤清政が安房・勝山藩2万6000石となり勝山陣屋を築いたと模様です。
内藤氏改易後1668年には、若狭・小浜藩から分封された酒井忠国が1万2000石にて勝山陣屋に入りました。
ただし、麓に陣屋があったようで、山城のほうは使われなかったと考えられます。

現在、北側にある大黒山には、模擬天守風の展望台(勝山城展望塔)がありますので、勘違いしないように注意が必要です。

交通アクセス

JR内房線の安房勝山駅から徒歩約15分で登城口です。

上総・金谷城からやってきて、次は安房・岡本城の撮影に向かいました。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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