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安房・岡本城とは
安房・岡本城(おかもとじょう)は、千葉県南房総市富浦町豊岡にある標高56mの平山城で、比高は45mほどになり国の史跡に指定されています。
最初の築城は不明ですが、戦国時代、里見氏の家臣・岡本通輔(岡本左京亮通輔)が築いたとも考えられます。
この安房・岡本氏は、もともと、古河公方の家臣だったようですが、岡本一族の者が里見氏に仕えたようです。
その後、主家から、岡本随縁斉(岡本安泰)が、岡本通輔の養子になったようです。
そして、元亀元年(1570年)、岡本安泰の居城だったものを里見義弘が譲り受けました。
山腹を削り絶壁とし、堀切も整備するなど改修すると子の里見義頼が入っています。
岡本随縁斉(おかもと ずいえんさい)は、里見水軍の将となっており、1571年、安西又助と三浦半島に攻め入ると三崎城の戦いなどで活躍するなど里見義頼の家老を務めました。
すなわち、安房・岡本城は、海城としても、機能していたようです。
里見義頼
里見義頼(さとみ よしより)は、1543年に久留里城主・里見義堯の子として生まれたとされます。
ただし、父に関しては、里見義弘の庶長子であるとする説もあります。
1577年、里見家臣の正木頼忠と、北条家臣の松田憲秀が交渉し、里見義弘は、対立していた北条氏と和睦します。(房相一和)
里見氏の金谷城、北条氏の浦賀城など最前線の拠点が廃城となり、北条氏政の娘・鶴姫(龍寿院)が、里見義頼に嫁ぎました。
しかし、1578年5月、里見義弘の急死すると、里見義頼と里見義弘の嫡男・梅王丸が、家督争いとなりました。
里見義弘は生前、死後は里見義頼に安房国を与え、嫡男・梅王丸(里見義重)には上総国を与えるとしていたのが、両者や家臣らも不満だったようです。
正木憲時・加藤信景ら上総の重臣らは、直ちに梅王丸に家督を継がせ、里見義頼や正木頼忠ら安房の武将は北条氏の支援も受け、里見義頼は居城を安房・館山城に移しました。
この動乱の最中に、鶴姫が死去したため、北条氏政は、妹・菊姫を後妻に送っています。
1580年、里見義頼は、正木憲時を討つため挙兵すると、上総に侵攻を開始し、梅王丸と加藤信景が籠城した佐貫城を包囲しました。
小田喜城(大多喜城)の正木憲時は、里見義頼勢の正木頼忠を破り、安房・勝浦城を占領するなどしましたが佐貫城の加藤信景は梅王丸の助命を条件に開城・降伏しました。
そのため、正木憲時は、小田喜城の籠城中に家臣に殺害され、里見義頼勢が勝利しました。
小田喜城(大多喜城)には、太田康資もおり、自害したとも、佐竹氏を頼り逃れたともされます。
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このように、里見義頼は、北条氏政の支援を受け、1580年、上総国を制圧しました。
そして、梅王丸を出家させ、里見氏の領地すべてを掌握しています。
11歳くらいだった梅王丸(里見義重)は、出家すると、岡本城近くの聖山の一庵に入りのち館山の泉慶院の住職となっています。
こうして、里見義頼は里見氏の7代当主となり、里見家の本拠を佐貫城から安房・岡本城に定めています。
1582年、武田勝頼が滅亡し、本能寺の変となると、北条氏の要請を受けて、援軍として里見勢を甲斐国まで派遣し徳川家康との黒駒の戦いに参加しています。
1587年、里見義頼は、安房・岡本城にて病死しました。
墓所は南房総市富浦町の光厳院。
側室・正木時茂の娘(龍雲院)が産んでいた、15歳の里見義康が、家督を継いでいます。
1588年、岡本安泰の子・岡本頼元(おかもとよりもと)は、岡本城が火災になった際の責任を問われ一時追放されています。(のち足軽小頭100石として復帰)
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めのあと、上総の所領を失った里見義康は本拠を岡本城から安房・館山城に移しました。
安房・岡本城は、現在、里見公園として整備されており西側にある旧道から登れるようです。
上記写真のトンネル手前・右側が登城口になります。
交通アクセス
安房・岡本城への行き方ですが、JR内房線の富浦駅から登城口まで徒歩10分。
駐車場はありません。
夏の時期でなければ、豊岡海水浴場付近の駐車場は利用できると思いますが、少し離れます。
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