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三河・西尾城の解説~二の丸に天守があった珍しい城

西尾城




三河・西尾城とは

三河・西尾城(にしお-じょう)は愛知県西尾市にある平山城です。
現代の西尾城を見ると平城と言っても良い状態ですが、当時は矢矧川の川幅も広く海岸線が内陸部まで入り込んでいて低湿地の中にある段丘上に建てられていた城でした。
二之丸丑寅櫓
2020年に再建された二之丸丑寅櫓

鎌倉時代の承久3年(1221年)に起きた承久の乱で戦功を立てた足利義氏(あしかが-よしうじ)は三男ながら、正室に鎌倉幕府二代執権の北条泰時(ほうじょう-やすとき)の娘を迎えていたため、足利家の家督を継ぎ三河守護などの地位を得ました。
足利義氏は吉良荘を私領として長男の足利長氏(あしかが-ながうじ)に西条の地を与えて西条吉良氏を名乗らせ、三男の足利義継(あしかが-よしつぐ)には東条の地を与え東条吉良氏の祖とします。
東条吉良氏は後に陸奥国に移り奥州吉良氏を名乗る事になり、江戸時代にその末裔は蒔田氏を名乗っていましたが、赤穂事件(忠臣蔵:元禄15年(1703年)吉良邸討ち入り)が原因で三河吉良氏が断絶した事により宝永7年(1710年)に吉良氏に復姓し、その家系は幕末まで続く事になります。





歴史

吉良荘は中央に矢作川(現在の矢作古川)が流れており、その西を西条、東を東条と呼称していました。
南北朝時代に入ると吉良長氏の曾孫にあたる吉良満義(きら-みつよし)は嫡男の吉良満貞(きら-みつさだ)と共に足利直義(あしかが-ただよし)に属して各地を転戦します。

正平23年(1368年)吉良満義が没すると、陸奥国へと移り主が不在となっていた東条吉良氏の被官達は、9歳になる吉良満貞の四男である吉良尊義(きら-たかよし)を主として東条城へと迎え入れますが、足利直義に従っている西条吉良氏に対して東条吉良氏は足利尊氏(あしかが-たかうじ)に付いたため対立が発生。
その後、西条吉良氏の主となった吉良満貞が足利尊氏に属する事になったため一旦は和睦が行われますが、東西足利氏の対立は依然として続き、応仁の乱では西条吉良氏の吉良義真(きら-よしざね)が東軍に、東条吉良氏の吉良義藤(きら-よしふじ)は西軍に着いて争いを繰り広げたと言われていますが、戦いの様子が記載されている『三河軍記』は誤謬も多く信頼に欠けるとされます。
ともあれ、吉良家は各地の豪族が戦国武将化して勢力を拡大して行く中、東西吉良氏の内紛によって他地域への所領拡大に乗り出す事ができず、天文年間に入り駿河・遠江を支配する今川氏の勢力が三河の地に及ぶようになると、吉良家は今川家よりも家格が上ながらも、実力の違いにより、今川家の庇護下に入りながら家名によって支配地を守るのみとなっていました。

天文18年(1549年)岡崎城(おかざき-じょう)を中心に西三河を支配している松平宗家を配下に収めた今川義元(いまがわ-よしもと)が安翔城(あんじょう-じょう)の織田勢を攻撃し、織田信長(おだ-のぶなが)の兄である織田信広(おだ-のぶひろ)らを生け捕りにします。
この時の西尾城は西条城(さいじょう-じょう)と呼ばれており、現在ある西尾城より北西に1.2km程の場所にあったとされる丸山御所(まるやま-ごしょ)が主城で、現在の西尾城は丸山御所の出城(砦)だったと伝わっています(『三河誌』等)
二の丸鍮石門
二之丸鍮石(ちゅうじゃく)門

安翔城を支配下に収めた今川義元は、牛久保城(うしくぼ-じょう)の牧野氏を吉良の地に差し向け、砦を城塞化して西三河防衛を強化していきますが、これが現在の西尾城の元になった物と考えられています。
平成20年(2008年)に行われた二の丸の発掘調査で堀の掘削が2回に渡って行われた事が確認されており、2度目に掘削された際に発見された堀は、桝形になった障子堀でした。
この堀は牧野氏による物なのか、その後の松平氏によっての物かは不明ですが、近世城郭としての西尾城は今川氏が三河に帰還した事を契機に始まったと考えられます。





永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで織田信長(おだ-のぶなが)によって今川義元が討ち取られた後、今川氏の西三河地域への支配力が低下していった結果、翌永禄4年(1561年)東条吉良氏の一門である荒川義広(あらかわ-よしひろ)が岡崎城(おかざき-じょう)の松平元康(まつだいら-もとやす:後の徳川家康)に内通し、酒井正親(さかい-まさちか)の軍勢を手引きして西尾城を攻略します。
この時の西尾城主の牧野成定(まきの-なりさだ)は一族の牧野保成(まきの-やすなり)が今川氏の援助で吉田城を回復した事に反発し、織田信長と結んでいた西条城主の吉良義昭(きら-よしあき)の誘いに乗り西尾城主となっていましたが、松平・荒川の連合軍が攻め寄せてくると城を脱していきました。
酒井正親はその働きを称賛され『幡豆郡誌』などには「大神君、臣下に城を玉はるの始まり也」と記されており、この時に西条城の出城(砦)から西尾城と名を改めたと言う説が一般的です。

天正13年(1585年)城主が酒井重忠(さかい-しげただ:酒井正親の子)になった時、徳川家康は三河の諸将らを動員して西尾城の改修を行い、東丸や帯郭が増築され、二の丸には天守台を築いて本丸の北東隅にある櫓を移築し、三層の天守閣とします。
この時、本丸にあった初代の天守閣は本丸隅櫓として残る事となったようです。
天王門跡
天守台跡

天正18年(1590年)徳川家康が関東移封になると酒井重忠も川越へ移り、西尾城は岡崎城主となった田中吉政の支配下で三の丸の拡張工事が行われます。
寛永年間(1624年~1645年)には城下町全体を土塁と堀で囲む惣構えの工事が開始され増山氏や土井氏の支配を経て、明和元年(1764年)に大給松平氏の松平乗祐(まつだいら-のりすけ)が六万石で西尾城へ入城。
その後、松平氏の支配は五代続き明治維新を迎える事になります。
最後の城主であった松平乗秩(まつだいら-のりつね)は他の三河諸藩同様に新政府に帰順し、城の解体作業を進めていきます。
明治2年(1869年)版籍奉還を願い出た際に、新政府から「その儀(城の破却)に及ばず」との達しが出た時には、大半の建物が解体されており、天守閣も明治5年(1872年)には完全に解体され明治11年(1878年)西尾城は廃城となりました。

最後の藩主が松平氏(徳川家一族)でなければ、帰順時に率先して建物の破却を行わなかった可能性もあるかと思うと残念ですが、櫓や土塀などは順次復元されていますので将来が楽しみな城跡ではあります。

交通アクセスと登城

名古屋鉄道西尾駅から西へ1km程進むと西尾市歴史公園がありますが、この公園は西尾城の本丸と二の丸を整備した物で、姫の丸跡には西尾市資料館が建てられています。
この他、七ヶ所ある門跡には看板が立てられており城下町の大きさを実感できます。

西尾市歴史公園は本丸丑寅櫓、二之丸鍮石(ちゅうじゃく)門や二の丸天守台、土塁や堀などが復元されている他、令和2年(2020年)には二の丸丑寅櫓と土塀の復元工事も完成。
さらには(令和3年現在)天守の再建も計画されている他、姫の丸跡に建てられた西尾市資料館には西尾城にまつわる品々が展示され、史料等も購入できるようになっています(入場無料)
丸馬出
公園内にある旧近衛屋敷の庭に再現された馬丸出跡

●推奨ルート
~西尾城と城門跡巡り~(所要時間:約3時間)
※歴史公園以外は駐車場がありません
西尾駅→(徒歩6分)→丁田門跡→(徒歩5分)→天王門跡→(徒歩6分)→追羽門跡→(徒歩10分)→鶴ヶ崎門→(徒歩6分)→三之丸大手門跡→(徒歩5分)→東之丸太鼓門→(徒歩1分)→西尾市歴史公園→(徒歩5分)→須田門跡→(徒歩10分)→西尾駅

・丁田門跡
西尾市高砂町(中央通りバス停の西)
丁田門跡

・天王門跡
西尾市伊文町17(伊文神社前)
天王門跡

・追羽門跡
西尾市大給町32(大給神社の北側交差点南西角)
追羽門跡

・鶴ヶ崎門跡
西尾市鶴ケ崎町6-2(西尾中央児童館西側道路脇)
鶴ヶ崎門跡

・三之丸大手門跡
西尾市幸町(幸町信号交差点南東角)
三之丸大手門跡

・東之丸太鼓門跡
西尾市錦城町162-1(西尾小学校北門の脇)
東之丸太鼓門跡

・西尾歴史公園
西尾市錦城町231-1
本丸丑寅櫓
本丸丑寅櫓

・須田門跡
西尾市須田町35(一般民家前)
須田門跡

その他の関連施設
・丸山御所(西条城)
西尾市上町丸山
遺構などは存在しませんが、県道301号線沿いには『横町屋敷』や『善兵衛屋敷』と言った名前の信号交差点がある他、作道屋敷、御所ノ下、矢狭間など城があったと思わせる字名も数多く現存しています。





・実相寺
丸山御所のすぐ西、西尾市上町下屋敷15に建つ実相寺は中世吉良氏の菩提寺として建立され、三河の安国寺として栄えましたが織田・今川間の争いによって多くの堂宇を消失しましたが、多くの仏像は中世吉良氏の繁栄を物語る文化財となっています。

(寄稿)だい

三河・今川城の解説~愛知県が今川氏の発祥地
三河・刈谷城の解説 織田・今川の間で生き抜いた戦国大名の城
日本全国の城跡オリジナル地図

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だい

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愛知県在住の会社員です。
休日には県内の城巡りをしており、愛知県内にある1,300以上ある城館を全て制覇する事が当面の目標。
モットーは「どんなマイナーな土地にも歴史はある!」
愛知県出身の有名武将は数多く存在しますが、それ以上にマイナーな武将や城も多数存在しています。
そんなマイナーな武将やお城を歴史好きの皆様にご紹介できるような記事を書いて行きたいと思います。

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