堀親家とは
堀親家(ほり-ちかいえ)は、鎌倉初期の武士・御家人で、通称は堀藤次親家とも書きます。
出自や系譜はわかっていませんが、工藤氏庶流である堀宗俊の次男ともあります。
本貫は中伊豆だったようで、自転車の国サイクルスポーツセンター近くの山の中である、静岡県伊豆市大野に堀藤次親家館跡と言う屋敷跡もあります。
ただし、現在の堀親家館跡の付近には、民家や集落が、全くないような山合いの寂しい場所でして、屋敷があったとは、とても信じられません。
別荘などとして使っていたのかな?とも感じてしまいます。
堀親家の墓がある菩提寺は、もっと標高が低くて集落がある伊豆市大野の定林寺(じょうりんじ)ですので、大野のほうに屋敷があったのではと疑ってしまうところです。
いずれにせよ、堀親家(堀藤次親家)は、1180年8月、源頼朝が挙兵した最初から仕えており、山木兼隆館の襲撃にも加わりました。
また、石橋山の戦いにも参加し、椙山に敗走する源頼朝を助けるため、佐々木高綱・加藤景廉・天野遠景らと奮戦していますので、源頼朝が伊豆にきた頃から、交流もあったのでしょう。
堀親家の名は「吾妻鏡」や「源平盛衰記」にて、随所に出てきます。
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源頼朝と源氏の棟梁を争った木曾義高は、平家と源頼朝を討とうとして、対立します。
そのため、衝突寸前となりましたが、木曾義高は、人質として子の源義高(木曽義高)を鎌倉に差し出し、和解します。
源義高(木曽義高)は、源頼朝の長女・大姫と、成長した際には結婚する約束となった次第です。
その後、木曾義高は、平維盛らの大軍を倶利伽羅峠の戦いで破ると、そのまま京へ入り平氏一門を都落ちさせました。
しかし、京での評判は悪く、後白河法皇とも対立したことで、源頼朝との和議も長くは続きませんでした。
1184年1月、後白河法皇からの要請を受けた源頼朝は、木曽義仲討伐軍として、源範頼・源義経らを、京に派遣しています。
こうして、木曾義仲は粟津の戦いで討死しました。
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鎌倉に残されていた、木曽義仲の嫡男・源義高 (清水冠者)の処遇に関して、源頼朝は、殺害しようと考えます。
そのため、婚約者でもあった大姫は、源義高を助けようと、密かに逃がしました。
この逃亡した源義高(木曽義高)を、捕まえるように命じられた武将が、堀親家(堀藤次親家)になります。
堀親家の郎党・藤内光澄は、埼玉の入間河原にて、源義高を発見すると、討ち取ったことを鎌倉に報告しました。
ところが、許嫁であった7歳の大姫は、源義高の死を知ると、悲嘆して病床に伏せるようになります。
今で言う「うつ病」と同じ症状です。
そのため、母の北条政子がひどく怒り「大姫が病気になったのは、堀親家の郎党の不始末だ」訴えたため、困った源頼朝は、藤内光澄を処断しました。
直接、堀親家(堀藤次親家)の責任は問われなかったようで、源頼朝の上洛にも従っていますし、奥州征伐にも出陣しています。
源頼朝が死去したあとは、鎌倉幕府2代将軍・源頼家に引き続き仕えました。
しかし、1203年9月、源頼家が病床に伏せると、北条時政のはかりごとで、比企能員ら比企氏が滅ぼされます。
これを知った源頼家は、堀親家を使者にして、和田義盛・仁田忠常に書状を出し、北条時政を討つように命じました。
ところが、和田義盛が、その書状を、そのまま北条時政に渡します。
そのため、堀親家は、捕らえられて、狩野茂光の3男・工藤行光(くどう-ゆきみつ)によって殺害されました。
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翌日には、仁田忠常も、北条時政邸に呼び出され、その帰りに、加藤景廉によって誅されています。
交通アクセス
伊豆の堀藤次親家館跡への交通アクセス・行き方ですが、静岡県道80号「熱海大仁線」の途中にあります。
駐車場はありませんが、カーブの路肩に駐車スペースが2台ほどあり、駐車禁止ではありません。
1.5車線のカーブで、危ないですので、道路の本線にはみ出ないように、駐車してください。
バスなどは通っていませんので、クルマかタクシーが適切です。
坂道やカーブも多いため、自転車だと大変です。
場所は当方のオリジナル地図にてポイントしておりますので、スマホなどで地図を開いて、カーナビ代わりにご活用頂けますと幸いです。
次は、柏久保城に向かいました。
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