福星寺城は、千葉県四街道市吉岡にある標高は31mほどの平城で、別名は、 福星寺館、福星寺砦、吉岡砦とも言います。
城主は、千葉氏の一族で臼井城を治めた「臼井氏」の一族である「吉岡氏」とされます。
近くの木出城と共に、吉岡一族が居城したようで、吉岡氏の武将としては、関東公方に仕えた吉岡盛胤の名が見受けられます。
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お寺を囲むように高い土塁が残っており、その中心に福星寺がありますが、方形武士居館としも、かなり立派な土塁です。
雨上がりで足元が悪かったため、薮になっている箇所は未確認ですが、幅もある堀で巡らされているようですので、きちんと整備したら、在地豪族の館として、有料拝観施設として展開も可能なのではと感じてしまいます。
このような小さめの屋敷跡は、ほんと好きな部類ですが、千葉に残っているのは驚きでした。
なお、現在、福星寺城と呼ばれますが、福星寺は、江戸時代の元和二年(1616)に、權僧都宥照が開基・創建されたもので、実際に屋敷があったころの城名として、どのように名付けられていたのかは不明とのことです。
まぁ「下総・吉岡城」と呼んでよいでしょう。
近くには、木出城、下総・中山城などがあり、同じ、吉岡一族が散らばっていたものと推測されます。
お城好きで有名な春風亭昇太さんも、四街道での公演の際に、ご訪問されたようです。
福星寺のしだれ桜は、徳川家康が「見事だ」と言ったサクラを江戸時代に移植しているもので、毎年3月中旬から4月上旬が見頃です。
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福星寺城への交通アクセス・行き方ですが、千葉都市モノレール2号線の「千城台北駅」からバスで、福星寺バス停に行き、先に、福星寺や下総・中山城を訪問してから、帰りがてら、木出城が良いかも知れません。
駐車場・トイレなどはありませんが、福星寺城へ繋がる道路わきに、広めの駐車スペースがあり、5分間だけ止めさせて頂きました。
ただし、県道から入るところは、わかりにくいので、はやめにウインカーを出して、追突防止を図って頂きたいところです。
木出城、下総・中山城とセットでどうぞ。
・木出城の解説【千葉のひっそりとした城跡】
・臼井城の解説【臼井城の戦い】臼井景胤・白井胤治の奮闘
・城めぐりにも便利なオリジナル関東地図
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