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安芸・高山城の解説 小早川茂平 小早川繁平

安芸・高山城

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安芸・高山城(たかやまじょう)は、広島県三原市本郷町にある山城で、標高は198 m、比高184mと堅固です。
別名は、妻高山城、古高山城、道谷山城とも呼ばれます。
東は、花崗岩が露出した崖になっており、本丸、中の丸、西の丸、北の丸、釣井の段、鐘の段などの櫓跡があるようです。
国の史跡に指定されています。
最初の築城としては、鎌倉時代中期の1206年に、小早川茂平が築いたとされます。

安芸・高山城

小早川茂平(こばやかわ-しげひら)の父は、鎌倉御家人の小早川景平です。
父・小早川景平は、源義朝から信頼された源氏・平賀義信の5男でしたが、土肥遠平の養子となりました。
その土肥遠平は、相模国早川荘の小早川村に館を構えていたため、小早川遠平とも称していますが、平家討伐の功績により、安芸国沼田荘などの地頭も得ていました。
小早川村の館は、相模・小田原城の前進となります。


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そして、1213年、和田合戦のあと、土肥氏は立場が悪くなり、安芸国沼田荘に下向して、最初は三太刀城に屋敷を構えたようで、沼田・小早川氏となりました。
土肥遠平(小早川遠平)は、1237年に沼田庄にて死去し、墓所があるのは米山寺となっています。
その養子である小早川景平は、1244年に死去します。
それより、ずっと前の1206年、安芸国沼田荘は、小早川景平の嫡男・小早川茂平と、次男・小早川季平に分割相続させることを鎌倉幕府が認めていたようです。

小早川茂平は、新たに安芸・竹原荘(新荘)(広島県竹原市)の地頭職を得て、4男・小早川政景に与えたため、安芸・木村城の竹原・小早川氏も成立しました。

小早川季平の子は、椋梨郷を領し、戦国時代には、小早川家重臣の椋梨弘平・椋梨景良、幕末には長州藩の保守派・椋梨藤太を輩出しています。


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このように、鎌倉時代の築城としますと、安芸・高山城は、砦程度の詰の城であったと考えられます。
鎌倉時代後期には、小早川水軍にて、鎌倉幕府の命を受けると、瀬戸内海の海賊を退治しています。
しかし、小早川「本家」(沼田小早川氏)の拠点して、戦国時代になると、安芸・高山城の改修もされたと、容易に推測できます。

その戦国時代の小早川家は、大内氏に従っておりましたが、小早川正平(こばやかわ まさひら)のとき、裏切って、尼子氏に寝返ることを考えたため、1539年に、大内勢が押し寄せて、安芸・高山城は占領されました。
そして、城には、大内氏の城番が配置され、沼田・小早川氏は、大内家の監視下に置かれたようです。

一方で、竹原・小早川氏(安芸・木村城)の小早川興景(こばやかわ おきかげ)は、安芸・吉田郡山城主である毛利興元の娘を妻にしています。
そのため、1541年に、尼子詮久(尼子晴久)と、吉田郡山城の戦いとなった際に、小早川氏は、毛利家救援に赴いています。
尼子勢が撤退すると、武田信重が抵抗する、佐東銀山城の攻撃に参加しましたが、小早川興景は陣中にて病死しました。享年23。
嫡子がいなかったため、竹原小早川家の重臣らは、毛利元就に対し3男・徳寿丸を後継にすることを考え、主君・大内義隆の許可も得ています。
こうして、1543年、12歳で竹原小早川家の当主になったのが、名将「小早川隆景」と言う事になります。

安芸・高山城

1543年、月山富田城の戦いの戦いから撤退する際に、沼田の小早川正平は出雲・鳶巣川にて討死しました。享年21。
家督は、小早川繁平(こばやかわ しげひら)が継ぎましたが、まだ、僅か2歳であり、尚且つ病弱だったようです。
そのため、この年と、翌年1544年にも、安芸・高山城には尼子勢が攻撃したようですが、小早川家の家臣が結束して撃退したとあります。
小早川繁平は、病気が進行して、目も見えなくなったともあり、大内義隆は、毛利元就と共に、小早川繁平が尼子氏に通じたとして、追放しました。
1547年、反対した庶流の稲村山城主である田坂全慶らは、安芸・高山城にて、誅殺されています。
小早川繁平は、出家させられ、教真寺に入りましたが、のち1574年に没しています。享年33。
こうして、1550年、沼田・小早川家の小早川正平の娘(小早川繁平の妹)・問田大方(といだのおおかた)が、竹原・小早川氏である小早川興景の正室となって、両小早川家は再統一されました。

そして、小早川隆景は、安芸・高山城を本拠にしましたが、新しく築城したのが、沼田川(ぬたがわ)の対岸にある「新高山城」であり、1552年に移っています。
そのため、古い安芸・高山城は放置された模様です。


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安芸・高山城への交通アクセス・行き方ですが、登城口としては、北東側(搦手)から登ると、案内板もあるようです。
墓地に駐車場2台分あるとの情報ですが、登山用の駐車場ではありませんので、地元のお参りされる方に、ご迷惑にならないよう、できれば、利用は控えたいところです。
そのため、今回、登城は断念致しました。

お車でしたら、小早川家の墓所もある、米山寺もセットでどうぞ。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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