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加賀・小松城~一国一城令で廃城となっても明治維新まで続いた名城

加賀・小松城

加賀・小松城(こまつ-じょう)は、石川県小松市丸の内町にある梯郭式平城です。
最初の築城は、天正4年(1576年)の加賀一向一揆の際に、一揆勢の若林長門守が築城したとされています。

そのころ、織田勢は隣国の越前一向一揆を平定しており、上杉謙信も加賀の一向一揆撲滅を狙っていましたので、守備を固めたことでしょう。
小松城は別名を芦城、小松の浮城と言うように、平城ではありますが、周辺は低湿地帯になっており、湖沼や深田・泥沼の立地で、容易には攻めにくい状態だった模様です。

しかし、1579年に、織田勢の北ノ庄城主・柴田勝家が小松城を攻略し、村上頼勝(村上義明)が小松城主となったようです。





織田信長も亡くなり、柴田勝家も滅ぼされたあと、豊臣秀吉に仕えた村上頼勝(村上義明)は、1585年に66000石まで出世しています。
そして、北ノ庄城に入った堀秀政の与力となりました。

1598年4月に堀秀治春日山城30万石で転封となると、村上頼勝(村上義明)も伴って越後・本庄城(村上城)9万石として加増移封されています。
そのあと、松任城の丹羽長重が12万石で小松城に入り小松宰相と称されました。

石田三成が挙兵すると、大谷吉継の説得を受けて、丹羽長重は西軍に味方したため、東軍に属した金沢城前田利長より、小松城は攻撃を受けます。
この時、丹羽勢は3000で、前田勢は2万5000の大軍でしたが、湿地帯に守られた小松城は耐え、前田利長は攻略を一時諦めて、大聖寺城を攻めています。

その後、前田勢が金沢城に戻ると知った丹羽長重は、小松城から出撃して、浅井畷の戦いで、前田利長に打撃を与えました。
しかし、石田三成が関ケ原の戦いにて敗走し、丹羽長重は前田利長からの和睦を受け入れています。
浅井畷の戦いの戦いに関しては、夏季にて詳しい記載させて頂いておりますので省きます。

浅井畷の戦い~北陸での関ケ原は西軍が勝利したか?

徳川家康の仕置では、丹羽長重は所領没収の改易となり、功績のあった前田利長に小松城が与えられ。前田家は加賀122万石となりました。

小松城には、前田利長の義兄・前田長種が置かれています。
その後、前田直知・前田直正・前田孝貞と前田一門の年寄衆が小松城代を務めました。
そして、元和元年(1615年)には一国一城令により小松城も廃城となりました。

このサイトでも、城跡の説明をしていますと、まぁ、一国一城令で話が終ってしまう事が多いのですが、なんと、小松城は「復活」します。

江戸時代の初期、寛永16年(1639年)に、加賀藩2代藩主の前田利常が、隠居する場所が小松城とさだれられたのです。
養老領20万石としての許可も江戸幕府から降りて、小松城は、石垣の構築、二の丸、三の丸の増築など大規模な改修が行われました。

本丸、二ノ丸を水堀で囲み、周囲は三ノ丸、枇杷島、中土居、芦島の四郭、そしてその周囲に六郭をめぐらせ、巨大な湖沼に浮かぶ12の島、それぞれ石橋と木橋で連結した全国でも珍しい「浮き城」となったようです。
それぞれの島は、独立した郭であり、石垣と土塀で厳重な防御力も有していました。
そのように小松城域は広大な水堀に囲まれ、金沢城の約2倍と言う大きさだったようです。
小松城の本丸中央には、五重天守閣が余裕で作れるほど大きな天守台も設けられました。
ただし、壮大な天守は建造されず、楼閣風の御三階櫓が代用として建築された模様です。

その後も、小松城は例外となって存続し、明治維新まで使われました。
大聖寺城の10万石でも、陣屋ですので、北陸ではかなりの例外と言えるでしょう。
しかし、現在、面影はほとんど残されておらず、小松高校のグラウンドの隅に天守部分があるのみです。

小松城の移築門としては、稚松小学校の正門脇に常磐門があるそうです。
また、来正寺の山門が、二の丸鰻橋門(長屋門)とされています。

兎御門扉と葭島御殿兎門扉は、金沢の兼六園内にある成巽閣にあるようです。





残念ながら、小松城跡には駐車場がありません。
道路は駐車禁止ではなかったと記憶しています。
しかし、大型の緊急車両(消防自動車類)の通行を妨げるような止め方はしないと言う、私のポリシーの中では、道幅が狭く、路上駐車もあきらめました。
もし、駐車場を求めるのであれば、近くの芦城公園の駐車場を利用するしかなさそうですが、本丸からはちょっと離れます。
そのため、写真少なくて、すみません。

電車の場合には、JR北陸本線の小松駅からバス利用で、小松高校前バス停下車となります。
駅から歩くと、徒歩約20分くらいです。

丹羽長重~丹羽長正~丹羽秀重の生涯
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攻略難易度
中級者向け
旧国名
加賀
著者コメント
本丸部分のみが残るだけですが、石垣は見事です。




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