栃木県

栃木城の解説 宇都宮が県庁所在地なのになんで栃木県なのか?

栃木城

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栃木城(とちぎ-じょう)は、栃木県栃木市城内町にある平城です。
この栃木は、鎌倉時代の寛喜年間(1229年〜1232年)頃から、皆川氏の領地で、戦国時代に入ると、同じ一族の宇都宮氏と、鹿沼城下野・粟野城などの争奪戦を繰り返しました。
本拠地は皆川城でしたが、栃木城に関しては、1394年に、皆川秀光(皆川紀伊守秀光)が築いたとの伝承もあるようです。

その後、戦国時代の後期、皆川広照のときに栃木城の拡張工事がはじめました。
1586年頃には、すでに普請は真っ最中だった模様です。


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小田原城主・北条氏直の圧迫を受けると、徳川家康、佐竹義宣の仲介にて、皆川広照は北条氏に降伏しました。
1590年、豊臣秀吉小田原攻めになると、皆川広照は、小田原城に赴いて竹浦口を守備しています。
しかし、徳川家康と秘かに通じて所領安堵を得ましたが、この時、皆川城、川連城などは、北国軍の上杉景勝らの攻撃を受けたようで、開城降伏した模様です。

栃木城

所領安堵となった皆川広照は、豊臣秀吉の命もあり、1591年に、栃木城を本拠地と定め、更に改修を進め、城下町を整備しました。

江戸幕府が開いてまもなくの1609年、徳川家康によって、皆川広照は改易(所領没収)となったため、栃木城は廃城となり、壊された模様です。

栃木城

その後、栃木は足利藩に加えれており、宝永元年(1704年)には、栃木城跡に栃木陣屋が設けられました。

なんで栃木県になったのか?

宇都宮市が県庁所在地なのに、なんで栃木市の名称である栃木県になったのか?、栃木県の県名の由来は下記の通りです。

幕末、そして明治維新となり、明治4年7月に廃藩置県となります。
このときはまだ栃木県と言う県はなく、宇都宮県、大田原県、黒羽県、烏山県、茂木県、壬生県、吹上県、佐野県、足利県、日光県と、基本的にはあった藩がそのまま県になっています。
その後、県が多すぎるので統合が進み、壬生県、吹上県、佐野県、足利県、日光県がまとまって「栃木県」となり、宇都宮県、大田原県、黒羽県、烏山県、茂木県が統合され「宇都宮県」と栃木には2つの県となりました。
更に、明治6年に「栃木県」が「宇都宮県」を栃木県に入れる統合となり、今の「栃木県」の状態となって、栃木県の県庁所在地があった「栃木町(栃木市)」が中心となりました。
ただし、明治17年に、県庁は宇都宮町(宇都宮市)に移りましたが、栃木県という呼称は、そのまま使われたと言う事になります。

栃木城

ちなみに、県庁移転時の県令は、加波山事件で暗殺されそうになった、三島通庸(みしま-みちつね)です。
「土木県令」と呼ばれるほど建設工事などに熱心な薩摩藩出身の県令であったため、トントン拍子で宇都宮に県庁が移ったと言う事になります。
この三島通庸の子には、 1912年ストックホルム・オリンピックに日本初のオリンピック代表選手として出場した、三島弥彦がいます。


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現在、栃木城跡の一部は児童公園の栃木城址公園として整備されています。
堀と小高い築山が残るのみですが、栃木の歴史を語る上では、欠かせないスポットです。

栃木城への交通アクセス・行き方ですが、JR両毛線の栃木駅、または東武鉄道日光線の栃木駅からバスに乗車して、丸の内バス停下車となります。
アクセス路が狭いですが、城趾公園の入口前に、数台の駐車スペースがあります。

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コメント

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  • コメント (1)

    • 林 征洋
    • 2020年 8月 30日

    栃木市から県庁が移動されたのは自由民権運動が盛んであったことをきらった県令が県立医専に何者かに放火させ医専が無いことを口実に県庁を移動しました。そのため栃木県出身者の医学部志望者は県外の公立医学部を卒業後に自治医大の医局に戻るという不自由を現在も強いられています。

城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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