神奈川県

荏田城 なかなか歴史ある横浜の城跡

荏田城




荏田城(えだじょう)は、神奈川県横浜市青葉区荏田町にある平山城で、別名は荏田城山とも言います。
標高は42m、比高は24mほどの丘陵で、西側は東名高速が通っており、一部、削られている模様です。
鎌倉街道と、矢倉沢往還(大山道)が交わる交通の要所にあります。
また、早淵川の水源地も近く、荏田の地名の由来は「湿田の地」をさす意味だとする場合もあります。

最初の築城としては、平安時代末期から鎌倉初期にかけて、江田広基(荏田広基、荏田源三広基、荏田弘基)の居城(館)があったとされます。
江田広基は、通称・江田源三と言い、源義経の家来だったと言います。





源頼朝の命をうけた土佐房昌俊が京に上り、源義経を襲撃します。
この時、前日に勘当されて謹慎中だったにもかかわらず、江田広基(江田源三)は、源義経のもとに駆け付け、奮戦し矢傷を負いました。
その場で、謹慎を許されたとありますが、江田広基(江田源三)は源義経の膝の上で命が絶えました。享年25とされます。
ただし、荏田源三は、信濃・英多郷の出身ともされ、横浜の荏田は、武蔵七党の綴党(つづき-とう)の荏田氏が、住んでいたとも推測されます。

荏田城

室町時代に入ると、1343年(康永2年)、山内首藤通綱・山内首藤通範が鎌倉の善宝院に寄進した書状に「武蔵国荏田郷内堀内赤田之田畠」と明記されています。

戦国時代に入ると、小田原城の北条氏の領地となっており、茅ヶ崎城榎下城などと小机城の支城(小机衆)に組み込まれたと考えられます。
小田原衆所領役帳によると、荏田には曾根采女助という武将が確認できます。
曾禰采女助(そね-うねめのすけ)と同じ姓名である曾禰外記が、近くの山田城山の城主とされますので、曽根氏がこの付近を知行していたのでしょう。
曽根氏と関連性が高いと思われる城は、大倉山に大曾根城があります。





荏田城へのアプローチですが、東名高速の西側から、高速の上を渡れる歩道橋があります。

荏田城

ただし、歩道橋の先は、下記のように「立入禁止」となっていますので、城域に進入することはできません。

武蔵・荏田城

土塁や空堀なども見受けられるようですが、このように、荏田城の城域は、地元の方の民有地となっており、立入りることはできませんので、マナーを守った訪問をお願いしたいと存じます。
できれば史跡公園などになるとうれしく存じますが、江田駅からも近いですので、宅地開発されていないだけでも、地主様には感謝するべきだと考えます。
横浜の史跡は、結構、失われてしまったところが多いですのでね。

荏田城の近くまで行く場合には、東名高速の西側にあるマンションと高速の間から、歩道橋を渡ります。





荏田城への行き方・交通アクセスですが、東急・田園都市線の「江田駅」から600m、約10分の距離です。
駐車場はありませんので、江田駅近くのコインパーキング利用となります。

このあとは有馬城山へ向かいました。

茅ヶ崎城 横浜の整備保存された茅ヶ崎城址公園
有馬城山 (武蔵・有馬城) 削られている城
山田城山 (鎌田氏館) 鎌田政清 (鎌田正清、鎌田政家、鎌田正家、鎌田兵衛正清)
武蔵・沢山城(三輪城)もセットでどうぞ
小机城の訪問記~横浜市で一番見応えある平山城
訪問しておきたい神奈川県の城郭・寺院・古戦場など一覧リスト





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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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