松戸城(まつど-じょう)は、千葉県松戸市松戸にある標高20mほどの平山城で、別名は松渡城、松龍寺台、城山とも書きます。
最初の築城者などは不明ですが、戦国時代には千葉氏系の原氏や原氏の重臣である高城氏(たかぎ-し)が治めていたものと推測されます。
江戸川に面した下総台地の西端の舌状台地上にあり、この辺りは小さな城が多く、北側の相模台城を中心に根本城や松戸城など支城があったようです。
1465年頃、室町幕府将軍・足利義政の命にて、古河公方・足利成氏に味方していた千葉氏の家臣・原信濃入道(原胤高の孫?)と、その子・原八郎が、松渡城(松戸城)にて籠城したと言う記録もあります
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1538年(天文7年)の第一次国府台の戦いでは、軍師である根来金石斎(大藤信基)の進言を受けて、北条氏綱・北条氏康・北条幻庵の軍勢が、10月6日夜に江戸城を出発すると、7日朝に松戸城に到着したと考えられています。
その後、小弓御所の足利義明、里見義堯、真里谷信応らが国府台の北の相模台に進出して、第一次国府台合戦となりました。
北条勢2万、小弓勢1万とも言われる合戦でしたので、実際には、松戸城付近も戦場になったようです。
1582年には下総・小金城である高城胤辰の一族である高城筑前守が松戸城主を務めたともあります。
JRの線路の向こう側にある松龍寺も、松戸城の一部だったともされ、千葉大学の園芸学部のほうに、櫓台跡などがあるようですので、結構、広いのですが、改変されてしまっており、城郭としての雰囲気はないと言えます。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めでは、下総・小金城と同じく降伏し、廃城になったと考えられます。
ただし、江戸時代には旗本・高木正次(高木筑後守正次)、松戸城跡に1657年まで高木氏館を構えていたとされます。
その後、1725年からは、8代将軍・徳川吉宗が、鹿狩りをする際の休憩所として使われていたようです。
松戸城跡の城域も結構広く、国道6号のトンネル上や、千葉大学の敷地も城跡と推定されていますが、自由に見学できるのは、戸定が丘歴史公園となります。
明治維新を迎えると、第11代・水戸藩主であった徳川昭武(とくがわ-あきたけ)が、明治16年に邸宅「戸定館」を建てました。
江戸川を眼下に、遠くは冨士山、筑波山を望む風光明媚な場所だったようで、松戸城は現在、「戸定が丘歴史公園」として整備されている次第です。
松戸城への交通アクセス・行き方ですが、JR常磐線・新京成電鉄「松戸駅」から徒歩15分です。
駐車場は、戸定歴史館の駐車場を利用できますので、当方のオリジナル地図にて場所をポイントしておきます。
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