埼玉県

滝の城 堀などは北条家特有の縄張り

滝の城




滝の城(たきのじょう)は、滝之城、瀧之城とも書きますが、本郷城とも呼ばれる平山城です。
埼玉県所沢市に位置しますが、ほとんど東京都清瀬市に近い柳瀬川の北岸にある崖の上で、東川にも挟まれたこの辺りでは随一の要害です。
関越道の所沢ICも近いです。
最初の築城は伝承となりますが、1180年頃に源頼朝の挙兵に応じてた土豪が築城したとされています。





1976年(昭和51年)の発掘調査では、本丸脇の崖から横穴式古墳が多数発見され、金環、ガラス小玉、須恵器などが出土しましたが、危険なため現在は埋め戻されていると言います。

滝の城

1457年に、扇谷上杉氏の上杉持朝が太田道灌河越城(川越城)の築城を命じます。

滝の城

これに対して関東管領・山内上杉家の重臣であった大石氏が「滝の城」を築城したと言う事です。

滝の城からの展望

1497年には、河越城主の扇谷・上杉朝良に対して、山内・上杉顕定が「河越館」に陣を張り、古河公方・足利政氏と共に7年間も対決しているので、恐らくはその頃まで、大石顕重らが滝の城も整備して河越城を牽制したものと推測できます。

滝の城

1537年には、小田原城主・北条氏綱が進出して河越城を攻略。
そして、1546年、扇谷・上杉朝定は、古河公方・足利晴氏、山内・上杉憲政の連合軍が、北条綱成らが守備する河越城を襲いますが、有名な河越城の戦い(河越夜戦)となり、北条家が大勝利を治めます。
これにより、滝山城主・大石定久は北条氏綱(北條氏綱)に臣従したことから、所沢・滝の城も北条家の支城となりました。

滝の城

ただし、北条氏康の子・北条氏照が滝山主として入るのは1559年、20歳の時と推定されます。

滝の城

なお、滝の城は河越城と小田原城を結ぶラインとしても、重要な中間地点であるため、北条家が更に改修したようで、現在の縄張りにも北条家特有の構造が見られます。

滝の城

これら滝の城の主要部は、城山神社の境内となっています。

滝の城

1564年には、滝の城に北条家(北條家)は陣揃え(集合)して、下野方面へと出陣しています。

滝の城

滝山城の東側に滝の痕跡が残っており、名の由来と言われています。

滝の城

それを考えると、恐らくは本郷城と言うのが正式名称で、滝の城は、通称と言う事になるでしょう。

滝の城

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際、浅野長政の軍勢が大手から攻め込み、滝の城は落城しました。
滝の城の戦いもあったと言う事で、少なくともここでも命を散らした将兵がしたと言う事です。

滝の城

下記も見事な空堀になっています。

滝の城

その他の写真も連続して掲載しておきます。

滝の城

下記は堀切ですね。

滝の城

竹林も見事で、遊歩道もきちんと整備されています。

滝の城

滝の城

滝の城

滝の城

さて、滝の城への交通アクセス・行き方ですが、滝の城址公園(たきのじょうしこうえん)は野球場などもあるスポーツ公園にもなっていますので、駐車場が完備されています。
今回は、下記の西側にある公園駐車場(無料)を利用させて頂きました。
地図のポイント地点が駐車場入口となります。

ただ、平日だと言うのに90%ほど車が止まっていまして、ほぼ満車状態でした。
以上、見ごたえある滝の城でした。
見学所要時間は30分くらいです。

北条氏綱とは~関東進出の基盤を作った政治力ある小田原城主
北条氏照(大石源三、北条氏輝、北条陸奥守氏照)~北条の戦略家
大石氏の本拠地であった滝山城に関してはこちら
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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