葛山氏館跡
葛山氏館(かずらやまし-やかた)は鎌倉時代に作られた武家屋敷の特徴が豊かな単濠単郭式の方形館で、静岡県裾野市にあります。
葛山館とも書きます。
葛山館の大手門跡は東北隅と推定されているそうで、土塁や水堀もあり、敷地内には井戸が2箇所あったそうです。
葛山館跡の西側には葛山家の四天王と伝えられる重臣、半田氏屋敷跡、荻田氏屋敷跡と続いています。
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領主の館跡の西隣が半田屋敷で、その更に隣が荻田屋敷と、鎌倉期の屋敷がこのように「並んでいた」と言うのが、現在でも確認できるのは、私も色々とこれまで見て参りましたが、記憶にありません。
領主の屋敷跡とそれに並ぶ重臣の屋敷としては歴史的な見地も高く、国指定になっても良いのではと感じずにいられません。
同じ重臣の岡村屋敷跡は一部が水田になったり改良されてしまったり、仙年寺の東側にあった古池屋敷跡は失われていますので、是非、土地の改変などなく、後世に残る事を願う次第です。
半田屋敷跡などには、今でも半田さんがお住まいのようですので「跡」と呼ぶのは失礼かも知れません。
現在、中村集会所がある場所も重臣の屋敷跡と推定されているそうです。
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詰めの城が駿河・葛山城と言う事になりますので、居館と要害がセットである「根古屋式城郭」と言えます。
伊勢長氏(北条早雲)の3男・北条幻庵の母は、側室であった葛山備中守維貞の娘です。
どうやら、実家で北条幻庵を産んだとされますので、その屋敷は、葛山館だった可能性もあるでしょう。
なお、このような館跡もきちんと残されているのは、大変貴重でイメージも湧きますし、非常に嬉しく感じます。
葛山氏館への交通アクセス・行き方ですが、当方のオリジナル地図にて場所をポイントしてあります。
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こんにちは。少しお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?
匿名様、コメントありがとうございます。
誠に恐れ入りますが、ご希望・ご用件を賜らないと、当方も対応ができるかどうか、検討が困難です。
ご了承願います。(^-^)