群馬県

江田館 (新田荘城館) 矢内四郎左衛門の居城

江田館




江田館(えだ-やかた)は、群馬県太田市新田上江田町(旧新田町)にある平城で、国指定史跡「新田荘遺跡」のひとつに指定されています。
立地としては、木崎台地の端っこに築城した感じで、平地部分は堀で仕切られています。
最初の築城は不明ですが、鎌倉時代の1210年頃に江田頼有が築いたとされます。
この上野・江田氏は、清和源氏の新田氏から分かれた世良田氏の一族と推定されます。
鎌倉時代末期、惣領家となる新田義貞は、執権・北条高時らを討ち、鎌倉幕府を滅ぼしました。
この新田庄にあるのが、上野・江田館となります。





鎌倉幕府が滅んだ1333年に、江田行義なる武将が長楽寺に寺領を寄進しています。
江田行義は、鎌倉攻めでは極楽寺坂口の大将を務めて貢献しました。
北側の土塁に「義貞様」(ぎていさま)と呼ばれる祠(石宮)があると言います。

1364年には、足利尊氏の4男・足利基氏(初代・鎌倉公方)が、世良田義政の領地だった新田荘江田郷を、一族の岩松直国に与えたとありますので、江田館の領主は、目まぐるしく変わっていたようです。
その後、岩松家純が、上野・金山城を築城したころには、すでに新田宗家は没落しており、新田一族の岩松氏が新田庄を掌握していました。
その頃、後ろ盾を失った江田氏は、姓を守下氏に代えたようです。

新田荘城館

そして、戦国時代に入ると、近くの反町館と一緒に少しは江田館も改修した模様で、由良氏の四天王の一人、矢内四郎左衛門が江田館主となっています。
館跡の東北方向には、黒沢屋敷・毛呂屋敷・柿沼屋敷と三曲輪が並ぶ縄張りになっています。

1584年、北条氏直が、新田金山城を攻めた際、先に江田館を攻め落として攻略拠点として活用しました。

江田館

また、徳川家康は、源氏である世良田氏の末柄と称して、征夷大将軍となり江戸幕府を起こしています。

上野・江田館の保存状態は良く、堀や土塁はも残っています。

上野・江田館

江田館(新田荘城館)への交通アクセス・行き方ですが、最寄りの世良田駅から歩くと約4km、60分といったところです。
東武鉄道・伊勢崎線の太田駅から、路線バスですと、上江田会館バス停下車となります。
太田駅の太田市観光案内所と、世良田駅前では、太田市が無料で自転車の貸し出しも行っていますので、電車の方はレンタサイクルが便利だと存じます。
なお、県道わき(館跡の脇)に、3台ほどの駐車スペースがあります。
ただし、いかんせん、地元の方が、城跡散策の目的以外に、長時間お止めになられているようで、混雑気味でした。
駐車スペース(空き地)は、当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。

このあとは反町館へ向かいました。

反町館 (新田荘城館) 新田義貞の居城か?
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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