佐賀県

水ヶ江城の歴史解説 龍造寺隆信が生まれた地

水ヶ江城

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水ヶ江城(みずがえじょう)は、佐賀県佐賀市中の館町にある館跡(平城)です。
最初の築城は不明ですが、室町時代後期の文明年間(1469年〜1487年)に、龍造寺康家が館を建設開始したとされます。
龍造寺康家(りゅうぞうじ やすいえ)は、龍造寺氏14代当主で、龍造寺氏の主君は、九州・千葉氏の千葉胤朝となります。
明応年間(1492年~1501年)の末に、嫡男・竜造寺胤家に家督を譲ると村中城(佐賀城)から退去して、龍造寺康家は近くの水ヶ江城に入った模様です。


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この頃、主君・千葉胤朝が死去すると、筑前・高祖城の少弐政資が九州千葉氏を乗っ取りますが、大内義興に敗れて自刃しました。
龍造寺胤家(りゅうぞうじ-たねいえ)は、千葉氏寄りだったようで、立場を悪くしたのか、家中で折り合いがつかなかったのか、出奔しています。

そのため、龍造寺家(村中家)の家督は、次男の龍造寺家和(りゅうぞうじ いえかず)が継ぎました。
これに対し、5男の龍造寺家兼(りゅうぞうじ いえかね)は、分家である水ヶ江龍造寺家を興したと言う事になります。
そして、水ヶ江城は、堀がめぐらされるなど、改修されて城塞となりました。
西館・中館・東館など五館の曲輪群があり、その周囲は水堀になっていたとされます。


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なお、村中・竜造寺家は、龍造寺胤和の早世などもあり、龍造寺家兼は本家の補佐をするうちに、影響力を強め、主家・少弐資元の筆頭重臣にまでなりました。
その後、1548年、村中家の龍造寺胤栄(りゅうぞうじ たねみつ)が嫡子なしで死去すると、分家の水ケ江龍造寺氏から本家の家督を継承する事になったのが、肥前の戦国大名龍造寺隆信」となります。
龍造寺隆信は、水ヶ江城の東館天神屋敷にて、1529年に誕生していました。
弟の龍造寺長信が、水ヶ江城を継いだ模様です。

1584年、龍造寺隆信は、有馬晴信との沖田畷の戦いにて討死したため、龍造寺家臣の鍋島直茂が実権を握ると、佐賀城を大改修します。
その頃、水ヶ江城も、佐賀城の外郭に組み込まれ、屋敷割りが行われた模様で、廃城(合併)になったようです。

現在の水ヶ江城跡は、中の館自治会館、中の館児童公園があり、遺構は水路くらいです。
ただし、中の館児童公園の中に、龍造寺隆信の大きな誕生碑や、胞衣塚(えな-づか)があるようです。


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当方は、駐車できないと諦めて、トップの写真1枚だけ撮影させて頂いたのですが、隣の乾享院(けんこういん)さんの参拝用駐車場が利用できると言うような、話もあります。(未確認)
JR長崎本線の佐賀駅から歩くと徒歩35分くらいです。
もちろん、佐賀城とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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