鍋山城(なべやま-じょう)は、岐阜県高山市漆垣内町にある山城で、標高は753m、比高は163mほどになります。
最初の築城は諸説あり、飛騨守護・京極氏の家臣である多賀氏が築城したともされます。
また、戦国時代の1547年、三木良頼の家臣で、臼越館主の平野右衛門尉が大八賀郷を横領して三仏寺城の城主となると、その子である平野安室(平野豊後守安室)が、鍋山城を築いて本拠を移し、鍋山安室(なべやま-あんむろ)と称したとあります。
鍋山安室の正室は、小峯の方です。
桜洞城の三木自綱(姉小路良頼)が高山に勢力を拡大すると、畑佐城の山田氏、飛騨・天神山城の高山外記は三木自綱に滅ぼされ、北飛騨の江馬氏ものちに滅しています。
鍋山安室は三木氏に従い、姉小路頼綱の弟・三木顕綱(みき-あきつな)を養子に迎えたと言いますので、降伏したようです。
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その結果、三木顕綱が鍋山城主となり、鍋山安室は毒殺されて、義母・小峯の方と、子の鍋山左近大夫らは追放されたと言います。
しかし、三木顕綱(鍋山顕綱)は、強欲だったとされ、兄・姉小路頼綱とも仲が悪くなり、三木顕綱は甲斐の武田氏に通じたと嫌疑を受けます。
そして、1583年、姉小路頼綱は、刺客・荒川甚平(長瀬甚平)と土川新左エ門を送って三木顕綱と妻を謀殺しました。
その後、姉小路頼綱の次男・姉小路秀綱(鍋山元綱)が鍋山城に入り、鍋山利高らはその後も三木氏に従っています。
姉小路秀綱(あるこうじ-ひでつな)は、1583年、賤ヶ岳の戦いの際に、父・姉小路頼綱が佐々成政と通じ、羽柴秀吉に対抗したため、金森長近が1585年に飛騨に侵攻すると、飛騨・松倉城にて籠城しますが、捕縛されて自刃しました。
鍋山利高、江馬時政、広瀬宗直らは金森氏に味方しましたが、所領没収となったため、謀反を起こして討死しています。
3万8700石にて飛騨を支配することになった金森長近は、最初、鍋山城を本拠地と定めて、城下町の建設も開始しましたが土地が狭く、1588年に、飛騨・高山城の築城を開始して移転したため、鍋山城は廃城となりました。
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鍋山城の本丸跡近くには、コの字形に残る石垣も残っているそうです。
鍋山城への交通アクセス・行き方は、JR高山本線の高山駅からタクシー利用となります。
鍋山の麓にある四天王神社の脇に、城山への登城口があります。
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