岐阜県

三仏寺城(三佛寺城) 飛騨で最も古くから栄えた城

三仏寺城

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三仏寺城(さんぶつじ-じょう)は、岐阜県高山市三福寺町にある標高600mの山城で、比高は100mほどになります。
三佛寺城とも書きます。
最初の築城は不明ですが、飛騨・高山でも最古の可能性がある城跡で、平安時代末期とも言われています。
保延・永治年間(1135年~1142年)頃、飛騨守を任じられた平時輔が築城して本拠地にしたとされます。
しかし、平時輔なる武将の詳細は不明です。


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その後、平時輔から3代目の平景則の頃には、飛騨を平氏がほぼ抑えていたようです。
しかし、平景家のときには、京へ上って平家を支えていたようで、1181年、木曽義仲が三仏寺城を攻め落としています。
この時、飛騨にいた、平景家の正室・阿紀伊の方と、次男・平景綱の娘?である鶴の前の行方が不明になったと伝わります。

鎌倉時代に入ると、藤原朝高、畑六郎左衛門、藤原安高などが、飛騨・高山の地頭となり、三仏寺城主となりました。
ただし、三仏寺城は詰の城で、屋敷は麓の歓喜寺付近にあったものと推測致します。

戦国時代には三木直頼が三仏寺城主でしたが、1547年、大八賀郷を押領した、三木家の家臣・平野右衛門が入っています。

その子である鍋山安室(平野安室)は、近くに鍋山城を築いて移ったため、最後の城主としては、三木直弘になります。

1564年、武田信玄の軍勢・山県昌景(山県三郎兵衛)に攻められて、自ら城に火を放ち、桜洞城へと落ち延びました。
以後、三仏寺城は廃城になった模様です。

三仏寺城への交通アクセスですが、麓にある歓喜寺の西側に駐車スペースがあるようで、城址碑・説明板と、広場から登城口があるそうです。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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