岐阜県

増島城 とても雰囲気がある櫓台と桜

増島城




増島城(ますしまじょう)は岐阜県飛騨市古川町片原町にある北飛騨では唯一の平城で、飛騨古川の古川国府盆地の中心地となります。
最初の築城は戦国時代で、それまでは、宮川の対岸にある飛騨・古川城が使われていました。

戦国時代の1556年、姉小路家庶流の三木直頼によって古川・姉小路氏は滅ぼされて、長らく古川を治めていた姉小路家が断絶します。
そして、1559年、三木直頼の孫・頼綱が姉小路家の名跡を継承し、姉小路頼綱(あねがこうじ-よりつな)と称しました。





姉小路頼綱は、織田信長と誼を通じ、飛騨・松倉城を本拠にして、1583年頃には飛騨を統一し、また、織田家の柴田勝家佐々成政と織田勢としても活躍しました。
しかし、1582年、本能寺の変にて、織田信長が横死すると、姉小路氏が協力していた柴田勝家が、羽柴秀吉と対立します。
このため、柴田勢の金森長近の侵攻を許し、最後には高堂城を攻められて降伏しました。

越前・大野城主である金森長近は飛騨一国を与えられて、飛騨・鍋山城にて3万8700石となります。
この時、萩原諏訪城や、増島城の築城が開始されました。

1586年に、増島城は完成したようで、金森長近の養子・金森可重が、飛騨・古川城から移っています。

江戸時代になって1608年、金森可重が飛騨・高山城に入ると、その子・金森重近が増島城に入りました。
その後、一国一城令によって廃城となりましたが、完全に壊したわけではなく「古川旅館」と改名して、萩原諏訪城と同じく金森氏の別邸として存続させたようです。
しかし、1692年、金森頼時のときに出羽・上山藩(出羽・上山城)に移封となると、飛騨は天領となったため、1695年(元禄8年)に飛騨・高山城とともに破却されました。
天領になった理由は、江戸幕府が飛騨の森林資源を確保するため、高山の直轄支配をしたためです。

しかし、飛騨古川にも古い町並みが今でも残っています。





増山城の本丸跡には、飛騨市立古川小学校があり遺構は失われています。
ただし、北側にある石垣の上にある櫓台と、内堀が僅かに残っていましたが、これがまた、風情がありました。
櫓台のうえにある建物は、増島天満宮と言うらしいです。

近くに林昌寺と円光寺の山門は、移築門とされますが、今回は、予定外の訪問でしたので、事前調査不足で、現地では気が付きませんでした。

JR東海の高山本線「飛騨古川駅」から徒歩7分となります。
駐車場ですが、小学校には、生徒送り迎えの保護者用の駐車場がありますが、もちろん、一般車両を止めるのはマナー違反です。
グルッと一周してみましたが、止められそうなところはなく、どうやら、飛騨古川駅の北口にある市営若宮駐車場の利用になりそうですので、ちょっと離れているのが難点です。
駐車場の問題は、なんとかして頂きたいところですね。





停車禁止ではなかったので、交通の妨げにならないよう見計らって、道路に10秒だけ停車し、写真1枚だけ撮影させて頂きました。

そういえば、飛騨古川駅は、アニメの大ヒット映画「君の名は。」の聖地でしたっけ?
どこのシーンなのか、よくわかりませんが・・。

しかし、なんで、増島城と言う名前なのでしょかね?

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神岡城のみどころ 江馬時盛の苦悩
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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