岐阜県

姉小路氏城館(向小島城・小島城・小鷹利城・古川城・傘松城) 飛騨の姉小路氏

姉小路氏城館

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姉小路氏城館(あねがこうじし-じょうかん)は、岐阜県飛騨市古川町の周平にある「古川城跡」(県史跡)、「小島城跡」(県史跡)、「野口城跡」(市史跡)、「向小島城跡」(県史跡)、「小鷹利城跡」(県史跡)、傘松城跡などの山城群の総称と言う事になります。

姉小路氏(あねこうじし)の出自は諸説ありますが、平安時代の中納言・藤原師尹(ふじわら-の-もろただ)の次男・藤原済時(ふじわら-の-なりとき)が、京都の姉小路に屋敷を構えて、姉小路を称しことに始まります。
鎌倉時代が終り1333年、建武の新政にて功績があった、参議・姉小路高基(あねこうじ-たかもと)が飛騨国司となり、飛騨に下向したとされます。
飛騨国古川郷に入り、高野にある飛騨・古川城を本拠としました。
その次は、姉小路家綱(あねがこうじ-いえつな)が継承して、飛騨守護である岩松経家(新田義貞の一族)を支えています。
しかし、まぁ、だいたい、庶流の一族が周辺を知行していくのは、姉小路氏も例外ではありません。


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小島勝言が小島城、向之綱は小島向城(向小島城と小鷹利城)、古河昌家は古河郷を領し、小島、向(小鷹利)、古河の3家が並立し互いに抗争を繰り返すようになりました。
また、飛騨守護は京極高光に代わり、飛騨守護代の姉小路尹綱が領土で揉めています。
1411年、姉小路尹綱(あねこうじ-ただつな)は、飛騨・古川城にて挙兵したことから、室町幕府4代将軍・足利義持は討伐軍を派遣しました。
そして、飛騨・高堂城の広瀬常登と共に、姉小路尹綱は討ち取られています。
その後、小島家が古川家を継承し、姉小路基綱が古川城に入りましたが、小島家の小島勝言、向小島家の小島之綱という事実上3人の当主がいると言う微妙な状態でした。

1527年には、姉小路高綱が家督を継いでいますが、江馬時盛や三木直頼らの台頭を抑えきれる状態ではありませんでした。
そのため、1556年、姉小路家庶流の三木直頼によって古川・姉小路氏は滅ぼされ、姉小路家は断絶しました。

その後、姉小路家三家のひとつである小島時光が三木家に臣従し、1559年、三木直頼の孫・頼綱が姉小路家の名跡を継承し、姉小路頼綱(あねがこうじ-よりつな)と称しました。


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当方のオリジナル地図や、ニッポン城めぐりと言うアプリが差している姉小路氏城館の場所(トップ写真)は、実質的に向小島城の場所となります。
下記の方角ですが、山の麓近くに岡前館がありました。

岡前館

ちなみに、飛騨・古川城は、増島城から見て、宮川の対岸にあります。
よって、姉小路氏の本拠は、今でも栄えている、増島城の城下町「飛騨古川」と言えるでしょう。

今回は、予定外の訪問でしたので、事前調査不足で充分に探索できませんでした。
飛騨は、今後の出張予定にも入れていますので、ついか、きちんと周りたいと存じております。

増島城 とても雰囲気がある櫓台と桜
神岡城のみどころ 江馬時盛の苦悩
高原諏訪城 江馬輝盛の野望と江馬氏の詰め城
飛騨の城跡巡りにも便利なオリジナル地図


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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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