作延城とは
作延城(さくのべ-じょう)は、神奈川県川崎市高津区下作延にある平山城です。
最初の築城としては、鎌倉時代に小山田城の一族である稲毛重成(稲毛三郎重成)が築いたと伝わります。
ただし、稲毛重成の本拠地は、武蔵・桝形城であり、その麓に屋敷を構えていたと考えられています。
そのため、作延城は支城と言ったことでしょうが、戦乱の世ではありませんので、外敵の侵攻を防ぐために、城・館を築いたとは考えにくいです。
そのため、子など一族が溝の口を領するようになって、その詰城として作延城を築いたと言うのが、自然かも知れません。
なお「さくのべ」ですので、柵を伸ばしていたと言う事から、さくのべと言う名称になった可能性もあります。
城の柵かも知れませんが、恐らくは平安時代に谷に牧場の柵を伸ばして、馬の飼育をしていたとみてよいでしょう。
ただし、作延城があった正確な位置などはわかっていません。
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また、源頼朝の弟・阿野全成が僧侶として入った威光寺(現在の妙楽寺)も丘陵にあります。
いずれにせよ伝承では城山と呼ばれていて、新編武蔵風土記では、城山堀・矢倉塚・天守台などの地名もあったと記載されています。
となると、戦国時代にも、小田原城の北条氏が、小机城・枡形城と共に、防衛ラインとして機能していた可能性があります。
北条氏所領役帳には、上作延村の武将は増田満栄(増田駿河守満栄)とあり、玉縄城主・北条氏綱の家臣だったようです。
1521年、増田満栄は圓福寺を建立しています。
現在、作延城があったとされる丘陵は、川崎市立緑ヶ丘霊園と言う大きな墓地に変わっており、遺構などはありません。
霊園内に、城址碑と解説板がありますので、その場所を当方のオリジナル関東地図にてポイントしておきます。
武蔵・作延城への交通アクセス・行き方ですが、JR南武線の津田山駅から、徒歩5分で入口です。
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