上熊野城(かみのくま-じょう)は、富山市上熊野にある平城です。
県道沿いの神明社付近に、越中・上熊野城があったと推定されています。
最初の築城は不明ですが、越中の土豪・二宮氏の本拠とされ、斯波高経・斯波義将に仕えていたともされます。
1355年には、桃井直常の身代わりとして討死した二宮兵庫の名前が、太平記に記されています。
また、戦国時代の城主は、天文年間(1532年~1555年)が二宮右衛門大夫三宅で、その後、二宮左衛門太夫がおり、越中守護代・神保長職の家臣になっていました。
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1574年、上杉謙信の家臣である村田弥三郎・安達清蔵らが拠っていた、東福沢の津毛城を攻めましたが、二宮左衛門太夫(二宮余五郎)は敗走したと伝わります。
また、樫木城主・村田修理亮とも昼夜問わず戦ったようですが、二宮左衛門太夫は上杉勢に屈しました。
しかし、上杉謙信の死去すると、織田信長の支援を受けていた神保長住が越中侵攻した際に協力して、知行安堵を受けています。
そのため、上熊野城は上杉勢から攻撃されて、没落したようです。
のちに、二宮氏の一族が浄蓮寺を建立しました。
また、神明社の南端には僅かに土塁が残っていると言います。
予定外の訪問で駐車場が見つからなかったため、遠景だけ撮影しましたが、浄蓮寺の駐車場を利用できるようです。
このあとは、城生城へ向かいました。
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