富山県

越中・若栗城 女のさむらい大将 奮戦の伝承

越中・若栗城

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越中・若栗城(わかぐり-じょう)は富山県黒部市若栗にある平城で、館の城、若栗館とも言います。
当初訪問する予定はなかったのですが、地図にてたまたま目に着いたため、少し寄り道をしてみました。
すると、どうでしょう?
近くには北陸道や北陸新幹線が通過する、平坦な田園地帯ですが、結構、高くて立派な土塁が現存していました。
一部は破壊されていますが、まっ平らな平城で、これだけの土塁が残っているのは、なかなか珍しいです。


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この大きな土塁に囲まれて、屋敷があったのだと、とても想像も掻き立てられます。
そのためか、若栗城は、常陸・若栗城もありますが、富山の方が有名なようです。

最初に築城したのは南北朝時代とされますが詳細は不明です。
下記は虎口になっている個所です。

越中・若栗城

戦国時代には、神保長職の家臣・総田太郎左衛門や、不悪糺右京輔の名が見受けられ、越中・松倉城の支城だった模様です。

この不悪凡斎右京輔(ふあくぼんさいうきょうのすけ)は、上杉謙信から攻撃を受けました。
この越中・若栗城の戦いとも言える城攻めにて、おもしろい逸話があります。

越中・若栗城

戦上手の上杉勢でしたが、越中・若栗城を攻めても、なかなか落ちなかったそうです。
矢がなくなるまで攻めろと、矢をたくさん放ちますが、その矢が城から打ち返されてきたと言います。
よくよく城内を観察すると、女性のさむらい大将が、先頭に立って、矢を放っていたそうです。
なんでも、城の土居の竹で作った「筒」の中に、飛んできた矢を通した瞬間、すばやく矢を横にして、矢をとらえては打ち返していたと言います。
かなりのスゴ技ですね。
これを知った上杉勢は、管矢をたくさん作って放ちました。

越中・若栗城

管矢と言うのは、長さ20cmくらいの細い矢を、発射装置とも言える竹の管の中に入れて、飛ばすものらしいです。
細くて短い矢なので、直接、手に持って放つことができないので、竹の筒に入れて、放ちます。
ようは、大砲に弾を入れて発射する方法と同じような原理とお考え下さい。
小さくて細いので、敵は飛んでくる矢が見えません。
また、発射装置と言える竹の管がないと発射できないため、拾い集めて再利用ができないとの事です。

越中・若栗城

そのため、越中・若栗城では矢が不足し、兵士らは、城外にある通常の矢を手にいれようとしたようで、女のさむらい大将も、管矢にて討死したとあります。
城の北側には、鑓分(やりわけ)と言う地名も残っているようです。
この女武将の名前は不明ですが、不悪凡斎右京輔の妻、もしくは息女(娘)と言う記録もあります。
女性武将の死を受けて、不悪凡斎右京輔は切腹したとあります。

越中・若栗城

なお、時期がハッキリしないのですが、総田太郎左衛門も上杉勢から攻撃を受けて討死したともあります。

現在、北西隅の土塁の上には、菅原道真公を祭る中村天満宮が建てられています。 

越中・若栗城

越中・若栗城への交通アクセス・行き方ですが、富山県地方鉄道本線の場合、舌山駅から徒歩10分となります。
黒部宇奈月温泉駅からは徒歩で約12分ですので、北陸新幹線でも来れてしまいますので、新幹線の時間に早かった時などには、お勧めです。


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クルマの場合、土塁の内側(本丸)に駐車場があり、トイレもあります。
特に道路などに案内は無いので、駐車場の場所は、当方のオリジナル北陸地図にてご確認賜りますと幸いです。

次は、台地の上にある越中・天神山城に行きました。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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