紀伊・小松原館(こまつばら-やかた)は和歌山県御坊市湯川町小松原にある平城で、湯川氏館、小松原土居、小松原城、小松原居館とも言います。
戦国時代に入ると、湯川氏は背後の詰め城である紀伊・亀山城を大改修して本城としていたようです。
しかし、1549年、湯川氏11代・湯川直光は1549年は平時の屋敷として、この紀伊・小松原館を新たに築いたとされます。
山城から平城に本拠を移すと言うのは、太平の世ではあることですが、戦国時代においては非常に珍しいことだと存じます。
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なんで、そんなことをしたのか?
紀伊・亀山城だと高い山城で「寒風の季節は住みにくい」と言う理由から、平地に屋敷を構えたと伝わります。
まぁ、いずれにせよ、こんなわけで、紀伊・小松原館は湯川氏の本拠となりました。
小松原館は現在の紀央館高校と湯川中学校一帯にありました。
遺構はだいぶ失われており、堀跡が湯川神社の前に残されている程度になっています。
湯川小学校東にある法林寺に11代・湯川直光の宝篋印塔があるそうです。
なお、他にもありまして、菩提寺である日高郡美浜町和田の三寳寺にも湯川直光の墓がある模様です。
1585年、豊臣秀吉の紀州征伐の際に、仙石秀久・中村一氏らが、紀伊・亀山城や小松原館に迫ったため、12代・湯川直春は小松原館を焼いて、叔父・湯川教春の居城である紀伊・泊城に逃れたようです。
そのあと、神出鬼没のゲリラ戦を展開したことから、豊臣勢は和睦して湯川氏の所領を安堵しました。
しかし、羽柴秀長の大和・郡山城を訪問した際に、湯川直春は暗殺されて、湯川氏は結果的に滅亡しています。
なお、現在ある湯川子安神社は、落城の際に湯川直春が子安大明神神社を再興するようにと、家臣に命じていたと言われています。
交通アクセス・行き方ですが、JR紀勢本線の御坊駅から登城口まで徒歩約5分と近いです。
クルマの場合、城跡に建つ湯川子安神社の境内に、参拝がてら駐車可能です。
当方のオリジナル地図にて、駐車スペースの入口をポイントしておきます。
クルマの場合、西側からは道路が狭いようですので、東側から出入り願います。
このあと、紀伊・入山城に向かいました。
・紀伊・亀山城 湯川氏の本拠地である御坊の詰城
・湯川直光と湯川直春 南紀御坊で湯川衆を率いた武田一族?
・紀伊・入山城 青木一矩が出世した南紀の城跡
・紀伊・泊城(芳養泊城) 湯川氏の最初の本拠地と杉若無心
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