甲斐・下山城(しもやま-じょう)は、山梨県南巨摩郡身延町下山にある平城で、戦国時代には武田家の一族である穴山信君(穴山梅雪)が本拠地としていました。
甲斐源氏・加賀美遠光の孫・加賀美光重が下山郷に入り、下山氏を称したとされ、この身延・長國寺(長国寺)のある場所が、下山氏館跡、すなわち「下山城」とされています。
穴山氏は奥州に去った南部家の河内領に進出して下山城(穴山氏館)を本拠とし、河内領を支配しました。
下山城主・穴山信友の嫡男が穴山信君(穴山梅雪)です。
1575年に穴山信君が駿河・江尻城主となると、下山城は留守所となりました。
小さな寺院かな?と想像していたのですが、意外にも敷地面積がありまして、失礼致しました。
3段くらいに別れているなだらかな丘陵地となっており、西側には小さな川が天然の堀の役目を果たしています。
東側にも堀跡があるそうです。
敷地内には幼稚園?もあるようでして、館・城としては充分な面積と言えるでしょう。
下山城への行き方・アクセスですが、当方の関東オリジナル地図にて、入口をわかるようにしてあります。
ただし、国道からの入口はわかりにいくです。
ここで曲がるとは、誰も思いませんので、追突されないよう、危険防止の為に、早めにウインカーを出して、曲がってください。
山門を入って進むと右側に無料駐車場があります。
この記事は当方の戦国武将列伝Ωより再編集した内容になります。
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