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武田信春館(千野館)
武田信春館(たけだのぶはるやかた)は、山梨県甲州市塩山千野にある平城(館跡)で、千野館とも言う。
南北朝時代の甲斐守護・武田信春とされる館跡で旧青梅往還に面しているが、築城年などは不明。
現在は武田信春の菩提寺である慈徳院の境内になっている。
武田信春とは
武田信春(たけだ-のぶはる)は、南北朝時代の武将で、甲斐源氏第12代当主(武田氏9代当主)にあたる。
父は安芸出身と推測される武田信成で、足利尊氏の北朝に従い甲斐国守護を得たようで、兄弟に武田基信、武田武春、布施満春、栗原武続などがいる。
1352年、足利尊氏ら北朝勢と、新田義興・新田義宗ら南朝勢が戦った、武蔵野の戦いにも参陣し勝利に貢献。
1394年に父・武田信成が死去すると武田信春が甲斐守護と家督を継いだと考えられる。(弟・武田氏信が安芸守護を継いだ模様)
なお、大善寺(甲州市勝沼町)の本堂(国宝)にある厨子(仏像や仏典などを収める箱)は、武田春信寄進と伝わるなど、周辺の寺院への寄進も大いに行ったようだ。
また、子には武田信満、穴山満春、下条信継、市部信久、吉田成春などがいる。
甲斐国志・東山梨郡誌によると、応永20年(1413年)2月に乱があり、武田信春館(千野館)を捨てて武田信春は萩原山中(萩原山)に逃れると、柳沢に城を築いてしばらく居住したとある。
萩原と言うのは難所の柳沢峠(標高1472m)のことで、峠近くに城を築いて籠城したと言う事か?
となると、かなり追いやられていたと考えられるため領地を失ったとも言えるが、1413年10月23日、柳沢にて武田信春は死去したと言う。
跡を継いだ子の武田信満は、武田信春館跡に慈徳院を建立し菩提を弔ったようだ。
ともあれ、武田信満は復活しているので、武田一族・兄弟などの支援を受けた可能性も考えられる。
念のため記載しておくが、室町時代前期の甲斐・武田氏は、甲斐守護ではあっても甲斐を統一するには至っておらず、甲斐は一族の穴山氏や、守護代の跡部氏、郡内の小山田氏など群雄割拠の状態であった。
戦国時代初期に入り、1508年に武田信虎(武田信玄の父)が甲斐統一を果たす。
交通アクセス
武田信春公館(千野館)への交通アクセス・行き方ですが、JR塩山駅の北口から約1.2km、徒歩20分の距離となる。
境内の南側に檀家用駐車場があり、短時間利用させて頂いた。
場所は当方のオリジナル地図にてポイントしている。
塩山駅前にある甘草屋敷(旧高野家住宅)とセットでどうぞ。
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