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大椎城のちょこっと解説~平忠常から千葉氏・上総氏へと発展した城跡

大椎城

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大椎城とは

大椎城(おおじいじょう)は千葉県千葉市緑区大椎町にある平山城
諸説あるが最初に築城としては、平安時代中期に平忠常が築したともされる。
南麓に居館があったか?

平忠常

平忠常(たいら の ただつね)は、平安時代中期の武将で967年(または975年)に生まれた。
桓武平氏良文流となり、父は陸奥介・平忠頼(平良文の子)。
母は平将門の次女・春姫


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平忠常の所領は広大で上総国だけに留まらず、常陸国、下総国にもあり、上総介や下総権介、武蔵押領使に任官されたともある。

1028年6月に、平忠常は安房守・平維忠を焼き殺す事件を起こし、朝廷が討伐軍を派遣する「平忠常の乱」となり、大椎城を拠点に抵抗したようだ。
しかし、平忠常は約3年間抵抗を続けたが疲弊し、1031年春、甲斐守・源頼信に投降・降伏した。

平忠常

平忠常の首は京で梟首されたが、子の平常将と平常近は罪を許されている。
弟・平将恒(たいら の まさつね)は秩父氏(秩父平氏)の祖となり畠山重忠などが子孫におり、末弟?・平頼尊の子孫は相模に移って中村氏を称し土肥実平らに繋がった。

そして、亡き平忠常の子・平常家は上総権介を継いで大柳城にて佐賀常家(平常家)となるり、上総氏、千葉氏を輩出した。

その後、千葉常兼のとき大椎城が修復されたようだが、1126年に千葉常兼の子・千葉常重が亥鼻城(千葉城)を築いて本拠を移したとされる。
ただし、その後も千葉一族が大椎城を使用していたようだ。

しかし、現在の遺構は戦国時代のものらしく、千葉氏の重臣で土気城主である酒井胤治の支城になったようで大規模な城へとなったようだ。


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付近には大小の砦・出城も点在したようだが、あすみが丘のワンハンドレッドヒルズとして住宅造成されており消滅したという。
現在、大椎城跡は緑地公園として整備されており、登城口は城跡の北西側となる。
ただし、1軒20億円とも言うプール付きの超高級住宅地に面しており、付近に駐車可能なスペースがなく登城は断念している。
今後、駐車場の整備が望まれる城跡と言えよう。

交通アクセス

JR外房線の土気駅から南に徒歩約30分。
案内板がある付近を当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
お気をつけて訪問して頂きたい。

次は近くの上総・東金城に向った。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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