阿波・川島城(かわしまじょう)は徳島県吉野川市川島町川島にある標高52mの岩の鼻にあり、比高30mとなる平山城で、阿波九城(あわくじょう)のひとつとなります。
阿波九城(あわ-くじょう)と言うのは、豊臣秀吉が長曽我部元親を討伐して、阿波に蜂須賀家政が入った際に、領内にあった城のうち、9つの城を改修して防御力を高めた城のことを言います。
一宮城・益田一正、撫養城・益田正忠(3593石)、西条城・森監物、川島城・林能勝(5500石)、大西城・牛田一長、海部城・中村重友(5254石)、牛岐城・賀島政慶(1万石)、脇城・稲田植元(1万石)、仁宇城・山田宗重が、最初の城主として蜂須賀家から派遣されました。
それぞれ、約300の兵を常駐させたと言います。
そのうちのひとつが、この記事でご紹介する川島城となります。
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最初の築城は不明ですが、戦国時代、この辺りは、上桜城主・篠原長房の所領でした。
その後、天正年間(1573年~1592年)の最初に頃に、川島惟忠(川島兵衛進惟忠、川島兵衛之進)が築いたと言われています。
川島惟忠(かわしま-これただ)は、三好家の一族、三好長慶の甥とされます。
1572年には、すぐ近くの上桜城の戦いとなりました。
この合戦にて川島惟忠は、篠原長房を討伐した際に功績があったようで、そのあと、この地に200貫を知行して、川島城を築き、名前も川島姓を称した模様です。
本丸に二の丸、三の丸もあった要害だったと言います。
しかし、天正7年(1579年)、長宗我部元親が岩倉城に攻めよせ、脇城外の戦いにて三好勢は全滅します。
この合戦にて川島惟忠は討死したようで、川島一族は、備中まで逃亡したと言います。
天正13年(1585年)、阿波に蜂須賀家政が入封すると、川島城には家老の林能勝(林道感)が5500石で入りました。
小さいながらも城下町も生成されたようです。
林能勝
林能勝(はやし-よしかつ)の先祖は木曽義仲とされ、尾張の上林村に移って「林」と称したと言われています。
最初は、今倉左馬助に仕えて、のちに織田信長の家臣となりました。
戦功を挙げた際に、織田信長より、仁王正清の刀を授かったともあります。
1582年、本能寺の変のあと、蜂須賀正勝の家臣に加わっていたと言う事になります。
織田信長、羽柴秀吉、松平元康、松平秀忠からも武勇を賞されており、築城能力にも優れていたことから、蜂須賀正勝のもとでは、軍師格となりました。
徳島城の造営でも、武市常三(武市信昆)と共に、縄張りと普請を務めています。
林能勝は、1588年の九州征伐にも参陣すると、剛勇の武将・草野十郎を討ち取り、羽柴秀吉から「蘭奢待」の一部である「鬼の褌」の鍔を賜っています。
1592年の朝鮮攻めでは、朝鮮から女性を連れて帰国したようで、朝鮮女の墓というものが、川島城のあった古城山の墓地にあるそうです。
その後、林能勝は1596年に隠居すると道感と号しました。
1614年、大坂冬の陣には、81歳の高齢を押して出陣すると軍監となったほか、戦功も挙げ、黄金100両を賜りました。
蜂須賀家家臣の稲田示稙、山田宗澄、樋口正長、森村重、森氏純、岩田政長と林能勝は、徳川家康から称され「阿波七感状」のひとりにもなっています。
林能勝は、1616年2月6日の死去。
林能勝の墓は丈六寺観音堂の脇にあるそうです。
ただし、養子の林勝行が大坂夏の陣にて乱心したとして、林家は改易となった模様です。
川島城も、元和一国一城令により、寛永10年に廃城となりましたが、一揆などの発生に備えて、城跡は維持されていた模様です。
また、江戸末期まで川島城跡には徳島藩の奉行所が儲けられていました。
川島城模擬天守
模擬天守は観光客向けで、入場は無料です。
入場時間は9:00~17:00で、月曜日が定休、年末年始も閉館です。
受付は無人になっており、記帳することで入場できるようです。
各階は会議室・研修室として使用しているようで、最上階に少しだけ展示があるとの事でした。
わざわざ入りませんでしたので詳細は不明です。
毎年3月下旬~4月上旬は、桜も開花して、川島城も綺麗なようです。
模擬天守前の道路わきが無料駐車場となっています。
電車の場合、JR徳島線にて阿波川島駅から、徒歩約10分となります。
川島潜水橋
オマケ写真ですが、下記は、吉野川にかかる、川島潜水橋です。
車1台がやっと通行できる橋で、洪水時には川の水の中に沈みますので、欄干がありません。
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