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出雲・平田城の解説

出雲・平田城

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出雲・平田城 (ひらた-じょう)は、島根県出雲市平田町極楽寺山にある標高53m、比高45mの丘城です。
別名は、手崎城、薬師寺城、薬師城とも言います。
最初の築城は不明ですが、応永年間(1394年〜1428年)には、出雲国守護・京極氏の家臣である多賀氏の居城だったと伝わります。
その頃の、出雲・多賀氏としては、室町幕府の所司代を務めた多賀高直が知られます。
足利尊氏の室町幕府成立時に、多賀氏は、佐々木判官に従っていたため、京極持高の家臣になっていた模様です。


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近江の本家筋と考えられる多賀政経と多賀高忠が、文明4年(1472年)に越前へ敗走したあと出雲に下ったとあります。
恐らくは、出雲にいた多賀一族を頼ったのでしょう。
多賀高忠は、文明7年(1475年)に出雲の国人を率いて上洛し、六角高頼らと戦いますが、三沢氏ら出雲国衆を戦死させて敗退し、以後、没落しました。
戦国時代となり、出雲守護代の尼子経久が、京極政経を勝って、事実上の出雲の主になります。
そして、1528年(大永8年)には、飯野氏が出雲・平田城主として見られます。
このとき、出雲の多賀氏は、飯石郡掛合の日倉城に移されたともありますが、これは、掛合の多賀山氏と、出雲・多賀氏を、昔の文献などが混同している可能性も考えられます。

出雲・平田城

1562年(永禄5年)、毛利勢が出雲に侵攻すると、毛利元就の支配下となりました。
山中鹿之助らが尼子勝久を立てた尼子再興軍が蜂起すると、1570年(元亀元年)、吉川元春出雲・鳶ヶ巣城に入り、出雲・平田城には家臣の岡元長と、牛尾春重(牛尾大蔵左衛門春重)が守備につきました。
牛尾氏の本家筋と考えられる、元の出雲・牛尾城主だった牛尾幸信(牛尾弾正忠幸信)は、尼子勢だったようですので、牛尾一族は、敵味方に分かれたようです。
尼子勢の出雲・高瀬城主である米原綱寛は、何度も、船を使って、出雲・平田城を攻めていますが、毛利勢は撃退しています。
出雲・平田城に関しては、昔は、宍道湖が、麓付近まで伸びていたようで、出雲・鳶ヶ巣城と同じく、水運の抑えでもありました。

愛宕山公園として整備された際に、地形が変わってしまっており、明確な遺構は残されていないようです。


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出雲・平田城への交通アクセス・行き方ですが、一畑電車の雲州平田駅にて下車し、徒歩25分となります。
クルマの場合、約30台ほどの愛宕山公園駐車場が利用できるなど、駐車場はいくつかあります。
600本ある「桜の名所」になっているほか、出雲市唯一の動物園「愛宕山動物広場」には、新たにポニー広場ができたとの事です。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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