洲崎館(すざきだて)は、北海道檜山郡上ノ国町字北村にある平城(館跡)で、上ノ国洲崎館、上之国館とも書きます。
最初の築城としては、蝦夷三守護のひとりで、上ノ国守護の蠣崎季繁に世話を受けて客将になっていた武田信広(蠣崎信広)が1458年に建てました。
コシャマインの戦いなどで武功を挙げ、武名を轟かせています。
洲崎館(上之国館)の付近にはアイヌの村があり、その支配も行う拠点となり、妻に迎えた安東政季の娘と新婚生活も送ったようです。
そして、嫡子がいなかった花沢館の蠣崎季繁は、武田信広の妻(安東政季の娘)を自分の養女とする形で、武田信広(蠣崎信広)を婿養子とし、家督をゆずりました。
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武田信広(蠣崎信広)は、遠慮して花沢館には入らなかったようで、完成した洲崎館にいたようで、一族・親族を洲崎館(上之国館)に集めると「建国之大礼」(国主になったと言う儀式)を執り行ったと伝わります。
すなわち、各領主の合意を得て、平穏無事に蠣崎家の家督を継いだと言う事になります。
養父・蠣崎季繁が1462年に亡くなると、花沢館を廃城として新たに勝山館を築城開始しました。
洲崎館(上之国館)は現在、砂館神社の境内になっています。
下記写真は、勝山城から見た上之国で、写真の左半分のほぼ中央が、洲崎館がある場所となります。
洲崎館跡には土塁と堀跡も残っているとされます。
1494年5月20日に武田信広(蠣崎信広)は死去。享年64。
家督は子の武田光広が継ぎました。
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洲崎館(上之国館)への交通アクセス・行き方ですが、砂館神社の境内が城跡言う事になります。
駐車場はありませんが、砂館神社の入口付近に路上駐車可能でした。
訪問時は、駐車禁止の道路ではありませんでしたので、数分間だけ止めさせて頂きました。
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