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相模・丸山城 糟屋館跡【神奈川県伊勢原市】高部屋神社

相模・丸山城

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相模・丸山城とは

相模・丸山城(まるやま-じょう)は、神奈川県伊勢原市の東海大病院東側にある平山城で、別名は糟屋城・千鳥ヶ城とも呼ばれています。
標高は35m、比高は10mほどで、台地の先端にあり、麓には低湿地帯を備えた要害で、現在は主郭南側を国道246号線が東西に貫通しています。
丸山城址公園として遊具も設置されるなど整備され、かなり改変は受けていますが、公園内の主郭周囲には土塁などが良好に残されています。
2008年の発掘調査では、堀幅約16m、深さ7.5mと言う大規模な障子堀も確認されたと言う事ですが、現在は埋め戻されているようです。


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かつて丸山城は、横山党の一族である糟谷有季(糟谷左衛門尉有季)の館跡(糟屋館跡)とされてきました。
しかし、国道246号の西側にある本郭と考えられる丸山城址の発掘調査では、鎌倉時期以外にも戦国時代の頃の遺物も出たそうですが、「糟谷館」だと言う決定的な証拠はないと言うのが現状です。

丸山城

とは言え、丸山城の辺りは、やはり、糟谷有季(糟谷左衛門尉有季)の頃からの城郭(館)が始まりであり、その後、戦国時代になると矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)の交通取り締まりとして、扇谷上杉家が七沢城などと共に整備したと推測できます。
北条早雲が相模に進出すると、もちろん、多少は改修されたかも知れません。

丸山城

糟屋と言う漢字は、糟谷とも書きます。
城域も、もっと広かったようで、東海大のほうから南側の台地集落にある高部屋神社も、丸山城の一部だったと推測されています。

丸山城

となると、やはりこの辺りに糟谷有季(糟谷左衛門尉有季)の糟屋館があったとしても、おかしくはないでしょう。
糟屋有季の妻は、比企能員の娘になります。

丸山城

交通アクセス

丸山城址公園の無料駐車場は、下記の地図ポイント地点となり、10台ほど止められ、トイレも完備されています。
しかし、近所にて勤務されている方が止めているのでしょうか?、なぜか平日でも満車気味でした。

また、丸山城址公園の東をかすめるように、新東名(第2東名)の高架橋が建設中でした。
現在は開通しています。

丸山城からの展望

上記写真は、伊勢原JCTの建設が進む方面を城址から撮影したもので、背後に大山がそびえ、この写真方向が、扇谷上杉定正館跡(糟屋館)の方角となります。

高部屋神社

高部屋神社(たかべやじんじゃ)は糟屋庄ほ含む大住郡127ヶ村の惣鎮守で、創建から平安時代までは三筒男命(みつつおのみこと)(住吉三神)を主祭神としてきました。
澄んだ入り江と言う意味の住吉(スミノエ)は、海の神、航海の神でもありますので、かなり古い時代に、この辺りまで海岸線が迫っていた頃から、社でもあったものと推測できますので、創建はかなり古いと考えられます。

延喜式神名帳にも見受けられ、鎌倉時代に糟屋藤太左兵衛尉有季が、高部屋神社の殿を造営したと言います。
1386年12月には、河内守宗国が造営に関わり、平秀憲が銅鐘を寄進しました。
1551年には、地頭・渡辺石見守が社殿を再興。
徳川家康が関東に入りますと、1591年11月に社領10石の御朱印を賜り、江戸時代中期頃までは「糟屋八幡宮」と呼ばれました。

高部屋神社

高部屋神社の参拝用駐車場も整備されています。
下記の地図ポイント地点の坂から境内の駐車スペースに入れます。
地図は縮尺を変えてご覧ください。

また、丸山城と高部屋神社の南方の川沿いには、太田道灌の首塚や、太田道灌の菩提寺である大慈寺などがありますので、あわせて訪問したいところです。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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