神奈川県

七沢城 扇谷上杉家の相模重要拠点 徳雲寺

七沢城




七沢城(七沢要害)(ななさわじょう)は、神奈川県厚木市七沢にある標高100m、比高18mの山城です。
最初の築城時期などは不明ですが、1450年4月に扇谷・上杉持朝(糟谷館主)と家臣・太田資清らが、鎌倉公方足利成氏を襲撃すると、江の島の戦いとなり、足利成氏は江の島に逃れます。
その後、足利成氏は七里が浜の戦いで、上杉勢を撃退したため、関東管領・山内上杉憲忠は、七沢山に要害を構え、鎌倉公方・足利成氏に対抗しました。
次の関東管領・山内上杉房顕は上野・平井城を本拠としたため、勢力を拡大著しい扇谷上杉定正が七沢城も支配したようです。

七沢城

しかし、扇谷上杉定正は忠臣で名将の太田道灌を1486年に殺害してしまいます。
1487年からは、上杉家での権力争いである長享の乱となり、山内上杉顕定は、扇谷上杉定正の相模の拠点・糟屋館を攻撃するため、約1000にて出陣します。
河越城にいた扇谷上杉定正も約200にて急ぎ糟屋館を目指すと、七沢城の南方で遭遇し、1488年2月5日、実蒔原の合戦(さねまきはら、実蒔原の戦いなりました。
七沢衆200騎とされる七沢城主・七沢朝昌(上杉朝昌)が討死するなど兵力に劣る扇谷上杉定正でしたが、戦上手でもあったため挟撃し、上杉顕定勢を破っています。

扇谷上杉定正は「不思議の至り、この事に候」と奇跡的な勝利であったと述べていますが、七沢要害は陥落して、七沢朝昌(上杉朝昌)は大庭要害(大庭城)に逃れたともされます。





その後、上杉定正の次子とされる上杉朝寧が七沢城主となりましたが、北条早雲が相模に進出すると、1562年、相模・七沢城は陥落しました。
扇谷上杉家は武蔵へと追いやられ、七沢城には北条家臣・渡辺五郎左衛門が入っています。

かつては遺構が良好に残されていたといいます。
しかし、現在は老人ホームや病院が立ち、地名を残して消滅してしまっています。
七沢城の石碑(ページトップの写真)がある場所は下記の地図ポイント地点となります。

なお、七沢城の背後には、物見・詰城とも言われる七沢見城山城(標高375m)があり、ハイキングコースにもなっていますが、春から夏は丹沢名物「ヒル」が出て血を吸われます。
丹沢は「冬」に訪れて下さい。

徳雲寺

七沢城址の北側にある徳雲寺は、扇谷上杉定正の開基とされます。

上杉定正の供養塔

駐車場のすぐ西側に上杉定正の供養塔(墓碑)があります。
ちょっと前までは、少し離れた畑の中?にあったのですが、2014年5月11日、現在の駐車場脇に移されて、整備されました。

七沢城址

上記写真は徳雲寺から望む七沢城址です。

徳雲寺

徳雲寺の駐車場は下記の地図ポイント地点で、駐車場の西側に

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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