福井県

敦賀城 大谷吉継が整備した若狭の平城

敦賀城




敦賀城(つるが-じょう)は福井県敦賀市にある平城です。
最初の築城は、1583年で、岸和田城14万石の蜂屋頼隆が、5万石で敦賀に入り、敦賀城の工事を開始しました。
武藤氏の花城山城を廃して、三層の天守を持つ立派な城を作ったようです。
蜂屋頼隆(はちや-よりたか)は、古くから織田信長に仕えていた武将で、豊臣秀吉に従っており、正室は丹羽長政の娘です。
そのため、主に丹羽長秀と一緒に行動していたようで、賤ケ岳の戦いのあと、敦賀城主となりました。
1589年に蜂屋頼隆は死去しますが、継嗣なく断絶し、豊臣秀勝が一時入りましたが、すぐに大谷吉継が2万石にて敦賀城に入っています。
大谷吉継は町割りも行い、城下町を整備しました。
また、敦賀城を水軍も使える海城として大改修したとあり、5万7000石を有しました。





1600年、大谷吉継は最終的に石田三成に味方し、関ヶ原の戦いなて敗北すると自刃しました。
敦賀城は大谷家の蜂屋将監によって、徳川勢に引き渡され、越前・北ノ庄城68万石になった結城秀康の所領となり、家臣が城代として派遣されたようです。

若狭街道

江戸時代に入り1616年、一国一城令にで敦賀城が破却されると、敦賀陣屋が置かれました。
のち、小浜城に入った酒井忠勝の領地になると、明治維新まで酒井家の支配地となっています。

敦賀城

敦賀城の本丸などは、どこにあったのか、正確な位置は、よくわかっていないようです。
来迎寺にある山門は、敦賀城の中門を移築したと伝わります。
真願寺は敦賀城の乾門跡に建てられたお寺で、境内には敦賀城の礎石(トップ写真)が残っていますが、敦賀の街も道路がとても狭いです。
敦賀城の下記の案内碑がある、敦賀西小学校の正門わきにあります。

敦賀城

写真撮影したそれぞれの場所は、当方のオリジナル地図にて場所をポイントしてありますので、よければご参照賜りますと幸いです。

敦賀城への交通アクセス・行き方ですが、JR敦賀駅からタクシー利用となります。
まお、敦賀駅近くにてレンタサイクル(貸自転車)もあるようです。

金ヶ崎城とセットでどうぞ。

大谷吉継の雄姿~関ヶ原の戦いでも石田三成に加勢
蜂屋頼隆や大谷吉継も城主となった敦賀城の歴史
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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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