神岡城(かみおか-じょう)は岐阜県飛騨市神岡町城ヶ丘にある崖の端にある城で、別名は東町城、冲野城、野尻城とも言います。
最初の築城としては、戦国時代で武田家に臣従していた江馬時盛が1546年に築城しました。
江馬氏はもともと、鎌倉時代の北条時政や、戦国時代の伊勢貞宗にも関係があるとされますが、詳しくは不明です。
いずれにせよ、江馬時経が神岡で実力をつけ、姉小路氏や三木氏と飛騨で争いました。
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その江馬時経の子とされるのが江馬時盛(えま-ときもり)ですが、一族で高原諏訪城の江間輝盛のほうが優勢であったことから、武田家に通じて形成を逆転させたと言う事になります。
武田家の重臣・山県昌景は、江馬時盛の3男・江馬信盛を人質として甲府に連れ帰っています。
その後、高原諏訪城の江間輝盛も武田家に従っています。
越中方面から侵攻してきた敵を迎え撃つには、もってこいの場所です。
しかし、1573年4月に、武田信玄が死去すると、高原諏訪城の江間輝盛によって、江馬時盛は殺害されました。
高原諏訪城のほうが本城格だったため、神岡城は支城扱いとの事で、河上中務尉が守備したようです。
その後、人質だった江馬信盛(えま-のぶもり)が、高原諏訪城の江間輝盛からも、江馬氏と当主にと担がれましたが、傀儡になるのを避けたのか拒否しています。
江馬信盛は、武田勝頼に従い活躍しましたが、1581年、高天神城の戦いで討死しました。
1582年、本能寺の変のあと、三木自綱によって高原諏訪城も陥落して江馬輝盛は討死し、江馬氏は事実上滅亡しました。
1585年、金森長近が飛騨を攻略すると、家臣の山田小十郎が神岡城に入って統治を行っています。
その後、1615年の一国一城令にて破却されましたが、金森旅館として維持され、石垣と堀は残ったようです。
独立式望楼型2重3階の天守がありますが、これは模擬天守で、1970年に神岡鉱山の三井金属鉱業・神岡鉱業所が創業100周年を記念して建てたもので、神岡のシンボルになっています。
実際に天守とも言える建物はなかったようですが、櫓台(天守台)はあるため、櫓と考えられる規模の天守のようなものはあった可能性があります。
そもそも、櫓と天守の差はあまり明確な定義がある訳ではないですしね。
鉱山資料館の窓口で拝観券を購入すると、神岡城の本丸と天守、鉱山資料館、旧松葉家(高原郷土館)の内部に入れます。
下記は移築されている、旧松葉家住宅で自由に見学可能です。
見学所要時間は20分もあれば十分でして、コンパクトで城の雰囲気も十分あるためお勧めです。
ただし、4月1日~11月30日だけの営業で冬季は休館となります。
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神岡城への交通アクセスですが、高速・中央道の松本ICからですと、ETCも使える安房峠道路を経由して約2時間です。
JR飛騨古川駅からは車で約30分の距離となります。
昔は駐車場が無く、道路に止めるしか無かったのですが、現在、神岡中学校の西側に無料駐車場ができていました。
当方のオリジナル地図にて駐車場の場所をポイントしておきますので、カーナビ代わりにご活用頂けますと幸いです。
亜鉛・鉛・銀を掘っていた神岡鉱山の一部は、小柴昌俊さんのノーベル賞を生んだニュートリノ観測装置スーパーカミオカンデとして活用もされています。
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