熊本県

肥後・内牧城と内牧御茶屋~加藤一族である加藤可重と加藤正方も

肥後・内牧城

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肥後・内牧城(うちのまきじょう)は 熊本県阿蘇市内牧にある平城です。

肥後・内牧城

戦国時代には、阿蘇家の家臣・辺春盛道(へばるもりみち)が内牧城主として見受けられます。
天正十三年(1585年)に島津勢が押し寄せると、辺春盛道(辺春丹波守盛道)は内牧城にて防戦しますが自刃したとされます。

佐々成政の処罰後、加藤清正熊本城に入ると、阿蘇の拠点とするべく内牧城は改修され、黒川の流れを変えて、旧黒川をそのまま水堀にするなど近世城郭にしました。

肥後・内牧城

加藤清正の一族で家老の加藤可重(加藤右馬丞可重)が内牧城主となっています。

加藤可重

加藤可重(かとう-よししげ)は近江出身で、父は片岡国秀(片岡庄右衛門国秀)と、三河・足助氏の一族と考えられています。
どうして加藤姓になったのかは、よくわかっていません。
1589年に内牧城10000石となり、城の改修と城下町生成を行いました。
地元では今でも「右馬丞さん」として親しまれているようです。
朝鮮攻めで長男・加藤重正を失っています。


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1604年に病没すると、次男・加藤正方ではなく、娘婿にしていた加藤重泰が内牧城代になりました。
その後、加藤正方が城代になった模様で、108騎持ちとあります。

内牧城

加藤可重には3男・片岡吉方(かたおか-よしかた)もいたようですが、1612年に片野川で鷹狩をしていたところ、佐敷城から来た四人の士卒と口論となり謀殺されたとあります。

加藤正方

加藤正方(かとう-まさかた)は、1580年生まれで、加藤清正の死後、幕府に対して、加藤忠広の家督継承を嘆願しました。
そして、加藤正方が江戸幕府の命にて八代城(麦島城)に移ると、1612年に岩尾城主・加藤正直が内牧城に入りました。

内牧城

なお、一門の加藤正次と御家騒動「牛方馬方騒動」となりますが1618年に勝利しています。
1619年に地震で麦島城が崩壊すると、八代城(松江城)の築城を開始し、1622年には筆頭城代家老となっています。
1632年に熊本藩の加藤家が改易(取り潰し)となると京にて片岡風庵を名乗りました。
その後、広島城の浅野家預かりとなり、1648年に亡くなっています。(享年68)

内牧城

1612年に内牧城に入った加藤正直は、加藤正方の子とされ、妻が加藤清正の娘の可能性もあります。
700石にて幕府旗本として存続しました。

内牧御茶屋

一方、内牧城は元和2年(1616年)の一国一城令にて廃城になり、城門の一部は、浄信寺の山門と、明行寺の門として移築されました。

細川氏が藩主の時代には、参勤交代の宿駅として内牧城跡が利用され、本丸跡は御茶屋、そして行政府施設となる手永会所が二ノ丸跡に建設され「内牧御茶屋」と称されました。
訪問した際には、2016年の熊本地震による仮設住宅が建っていました。

内牧御茶屋

幕末の1864年3月には、坂本龍馬勝海舟の一行も大分から長崎へ抜ける際に立ち寄っています。

内牧御茶屋

坂本龍馬は熊本にて横井小楠にも会っています。

夏目漱石が旅館山王閣に宿泊するなど、種田山頭火、与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻らの文豪も好んで訪れたのが、内牧城がある阿蘇内牧温泉(あそうちのまきおんせん)です。
その温泉街北側に城跡があり、公園整備されています。

内牧城

ただし、廃城となったあと陣屋ができ、戦前から温泉街になったと言う事で、遺構の多くは失われているようです。
しかし、下記のように肥後内牧城「二の丸」石垣遺構と言う部分も残されています。

肥後内牧城「二の丸」石垣遺構

アクセス

内牧城への行き方ですが、JR豊肥本線「内牧駅」からバスで15分、内牧バス停下車の徒歩5分です。
駐車場は、阿蘇内牧ファミリーパークの無料駐車場を利用可能です。

阿蘇内牧ファミリーパーク「あそ☆ビバ」は、内牧城をイメージした大型遊具もある公園になっているため、家族で訪れてお父さんは城めぐりと言う訪問も可能でしょう。

阿蘇内牧ファミリーパーク「あそ☆ビバ」

そうそう、内牧城の二の丸部分に、温泉もひかれている五岳ホテルがありました。

五岳ホテル

城側の部屋が取れれば、高いところから内牧城を見ることもできるかと存じますよ。

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阿蘇の外輪山もスゴク迫力ありますし、とてもよいところです。
温泉の共同浴場もあちこちにありますので、帰りはぜひ温泉も楽しんで頂ければと存じます。

下記の地図ポイント地点が無料の駐車場入口となります。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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