山梨県

勝沼氏館跡(甲斐・勝沼城) 勝沼信友も

勝沼氏館跡(甲斐・勝沼城)

山梨県の勝沼氏館跡(かつぬまし-やかたあと)は、山梨県甲州市にある日川の祝橋のすぐ北側、比高10mとなる断崖上にあります。
日川右岸の急崖である河岸段丘上をうまく利用した館跡ですが、連郭式平城の扱いです。
堀も結構立派で明らかに防御面も考慮した館跡なので「甲斐・勝沼城」と呼んでも良いでしょうが、躑躅ケ崎館に遠慮して「館」なのかも知れません。

勝沼氏館跡

結構立派な堀が東側と北側にあります。

勝沼氏館跡

橋は東門に復元されていますが、空想上での復元でしょうか?

勝沼氏館跡

草もキレイに刈ってあり、国の史跡としてとても良い整備状況でした。

勝沼氏館跡

一度、山梨県立ワインセンターの建設候補地となり、1971年から5年掛けて発掘調査を行ったところ、大規模な館跡が発見されたため、建設は中止され全面保存となり、現在は史跡公園として公開されています。

勝沼氏館跡

主屋だけでなく、御座所、会所、番所、台所、工房、厩、井戸跡、水堀跡など、23もの建物の存在が明らかになっています。

勝沼氏館跡

上記は北門の橋でして、こちらが大手だったと考えられます。

勝沼氏館跡

勝沼氏館は、武田信虎(武田信玄の父)の弟・武田信友(たけだ-のぶとも)が、1520年頃、勝沼の地を知行して、勝沼信友と名乗ったのが始まりです。
1530年には、勝沼信友の娘・勝沼松葉(理慶尼)もこの勝沼氏館で生まれたと考えられています。

勝沼氏館跡

しかし、1535年、郡内へ侵攻した相模の北条氏綱との山中湖畔における山中の戦いで、父・勝沼信友が討死。
その後、家督は嫡子・勝沼信元が継ぎましたが、勝沼館には親類衆の今井信甫が入ったようです。

勝沼氏館跡

ところが、1560年、長尾景虎(上杉謙信)が関東侵攻した際、秩父の藤田康邦(藤田右衛門)の調略に長兄・勝沼信元が乗ってしまい、謀反を企てたと言う文章が見つかります。
その為、勝沼松葉も嫁ぎ先から離縁され、また、武田信玄の命を受けた山県昌景が勝沼信元を誅殺し、勝沼家は断絶しました。

勝沼氏館跡

交通アクセス・行き方(アクセス)は、電車の場合JR中央本線の勝沼ぶどう郷駅から徒歩で約30分。タクシーで5分。
自動車の場合、ページ下部の地図ポイント地点が無料駐車場の場所。

勝沼氏館跡の駐車場

無料駐車場の「奥」の下記写真のところから「空き地」を抜けて歩くと、左手に勝沼城跡が見えてきます。
駐車場の場所は、当方のオリジナル地図にてポイントしてあります。

勝沼氏館跡への行き方

もし、無料駐車場が混雑していたら、館跡の西側の旧道・旧橋の部分は短時間なら止められそうです。
見学所要時間30分もあれば充分でしょう。

ここまで来たら国宝の建物がある近くの「大善寺」も必見ですぞよ。

躑躅ヶ崎館 戦国時代の武田信玄館【武田神社】は結構広い日本100名城
理慶尼(勝沼松葉)~大善寺にある理慶尼の墓
北条氏綱とは~関東進出の基盤を作った政治力ある小田原城主
関東周辺のお城や史跡などの訪問に便利な地図

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

0
この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
初心者向け
旧国名
甲斐
著者コメント
無料駐車場もあり訪問はしやすい。




皆様からのクチコミ情報

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


関連記事

  1. 甲斐・下山城 甲斐・下山城 甲斐の南部にある穴山梅雪の本拠地
  2. 新府城 新府城とは~武田家の集大成と言える大規模城郭の続日本100名城
  3. 甲斐・勝山城 甲斐・勝山城 油川信恵と油川夫人
  4. 甲斐・椿城(甲斐・上野城) 甲斐・椿城(甲斐・上野城) 大井信達と大井の方の出身地
  5. 御坂城 御坂城 河口湖と甲府の間の御坂峠にある標高が高い山城
  6. 武田神社 躑躅ヶ崎館 戦国時代の武田信玄館【武田神社】は結構広い日本100…
  7. 獅子吼城(江草城) 獅子吼城(江草城) 武田信虎の甲斐統一で最後まで抵抗した山城
  8. 甲斐・小山城 甲斐・小山城 南部宗秀も

カテゴリー

ピックアップ記事

  1. 近江・真野城
  2. 龍泉寺城(竜泉寺城)
  3. 海老ヶ島城
  4. 放生津城
  5. 備後・亀寿山城

城めぐり 2100城超えました

城めぐり
PAGE TOP