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躑躅ヶ崎館とは
戦国時代の武田家が本拠地とした甲府には、武田信虎・武田信玄らが館を構えた場所があります。
皆様ご承知の通り、城ではなく「館」でして「躑躅ヶ崎館」(つつじがさき-やかた)と呼ばれました。
1519年に石和(いさわ)から移った武田信虎が館を構えたのが始まりだとされており、武田氏館跡とも言います。
1582年に織田信忠の大軍が甲府に入った際に、武田家の館は消失しましたが、現在、跡地には武田神社が建立されており、また「武田氏館跡」として国史跡に指定されているほか、日本100名城にも選ばれています。
武田勝頼が命を落としてからは、甲府に入った河尻秀隆が躑躅ヶ崎館を一部再建したようですが、すぐに本能寺の変が勃発して、甲府にて落命しています。
その後、甲府を治めた徳川家康によって、改めて館域は拡張されて天守台も築かれました。
1590年、徳川家康の関東移封後、豊臣秀吉の命により羽柴秀勝・加藤光泰らによって現在の甲府駅近くにある一条小山(一条忠頼の居館跡)に「甲府城」(舞鶴城)を築城すると、躑躅ヶ崎館は不要となり、大正8年になって現在の武田神社が建立されました。
すなわち、武田神社は新しい神社と言えます。
武田神社を訪れたことがある方はおわかりだと存じますが、この躑躅ヶ崎館があった場所は、南に面したなだらかな扇状地の上部に位置しますので、今のように2階建ての家が無い時代でしたら、甲府盆地方面の展望も比較的よかったものと存じます。
そして、北側は1000m以上の山々がそびえ立ち、西と東にも峰があるため、敵が攻めてくるとしたらも甲府盆地側(南側)からのみとなり、しかもちょっとですが高台ですので防御に適しています。
なおかつ、山からの湧水もあり、少し井戸を掘れば水の確保もできたため、籠城も問題ありませんでした。
しかし、分類するとなると平城とも言えますので、武田信虎は、1520年6月、詰めの城として北方2.5kmの丸山に「要害山城」を築城しました。
1521年、今川家の高天神城主・福島正成が甲斐へ攻め込んだ際には、武田信虎の正室・大井夫人が、身重の身で要害山城に避難し、男児を出産しています。
そうです。武田晴信(武田信玄)ですね。武田信玄は、戦の中で生まれて、戦の中で生涯を終えたと言う事になります。
その後、躑躅ヶ崎館は山梨最大とも言える堀にて囲むなど、改修が施され、その館域(城域)は拡大していったようです。
上記の井戸は「姫の井戸」で、武田信玄の娘の産湯などに使用されたとの事ですので、松姫や菊姫にも使われたのかもしれません。
現在の武田神社の周りは、このような土塁で囲まれており、その外側には大きな堀が掘られています。
上記は1551年に増築された「西曲輪」です。真田幸隆が砥石城をたった1日で落とした年ですね。
武田神社にはこれまで5回くらい訪れたことがあるのですが、家族での観光であったため、じっくり周辺まで見学する事は無かったのですが、今回単独で見て参りました。
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躑躅ヶ崎館跡は大きかった
まず「躑躅ヶ崎」の由来ですが、武田神社の東にある尾根の名前が躑躅ヶ崎と言います。下記の写真です。
高い所に櫓でも建てれば、監視台としても機能しそうです。
その躑躅ケ崎の麓(武田神社の東側)が「大手」になっており、発掘調査では武田家特有の「三日月掘」も発見されています。(現在は保存の為、埋め戻されている。)
下記がその場所です。
現在、武田神社の南側にある水堀の「橋」は、大正時代に神社ができた際に作られて橋ですので、当然、戦国時代にはありませんでした。
神社の東側の土塁の隙間が「大手」で玄関口だったのです。
このように、躑躅ヶ崎館跡の領域は、武田神社がある四角い堀の周りにも広がっていたのです。
上記写真の右下部分、本格の右下の住宅地なども館などがあったと考えられており、甲府市では土地を買い取っては、発掘調査を周辺にまで広げているようです。
南一面は、家臣らの屋敷がたくさんあったことなのでしょう。
下記の写真は本郭の北側(山側)部分です。御隠居曲輪・無名曲輪などの部分ですね。
この辺りで幼い真田幸村など人質が生活していたのかも知れませんね。
武田神社の宝物殿(有料拝観)には、雲峰寺に4つ、恵林寺に1つ、一般所有1つとなっている武田軍旗「孫子の旗」(風林火山の旗)が展示されていますので、実物をご覧になった事が無い方は必見です。
躑躅ヶ崎館への交通アクセス
交通アクセス・行き方ですが、JR甲府駅の北口から路線バス利用で、所要約8分です。
土日でしたら30分に1本は運行されていますので便利です。
また、甲府駅北口にある電動アシスト付き自転車のレンタサイクルを活用して、武田神社だけでなく周辺の武田信玄の墓なども巡る方法も良い手です。
甲府にお立ち寄りになられた際には、是非訪れてみて下さい。
平日であれば、正面東側の掘沿いの駐車場にだいたい止められると思いますが土日は混雑します。
下記のポイント地点は、土日祝でもだいたい止められる、大きな第二駐車場ですので、ご活用ください。
日本百名城スタンプは、武田神社の脇にある宝仏殿の窓口で管理されており、係員さんに申し出て、スタンプを借りる仕組みになっているようです。
100名城のスタンプラリーはおこなっておりませんので、よくはわかりませんが・・。
武田神社の観光使用時間は、敷地内だけを散策するのであれば30分程度で十分です。
この記事は戦国武将列伝Ωより再編集・移設したものとなります。
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