山梨県

勝山城と谷村城(谷村館)の訪問記【郡内・小山田家】

甲斐・勝山城

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山梨県都留市の郡内・勝山城(かつやまじょう)は、標高571m、比高100mの山城で、山頂からは富士山や都留市街(谷村城の城下町)を望めます。
この地方は郡内(ぐんない)と呼ばれ、谷村館(谷村城)を中心に、小山田氏による統治が行われました。
しかし、戦国時代に入り、小田原城主・北条家や今川家により度々の侵攻もあり、籠城に適した城として「勝山城」が改修・整備されました。


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1582年、武田勝頼が滅亡し、明智光秀により織田信長本能寺の変で横死すると、甲斐には河尻秀隆が入り、郡内も支配下となりましたが、すぐに河尻秀隆は一揆で討死します。
その後、天正壬午の乱となり、北条勢が笹子峠・本栖城・御坂峠(御坂城)まで入っていますので、一時、郡内は北条氏直の軍勢により占拠されたものと推測します。
しかし、黒駒の戦いで徳川家康勢が勝利し、10月29日、北条と和睦すると、甲斐は徳川の領地となったため、郡内も徳川家康に明け渡されました。

郡内には鳥居元忠が18000石で入り、大月の岩殿城を本拠としています。
その後、羽柴秀勝の家臣である三輪五右衛門近家が都留郡を治めています。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めのあと、徳川家康が関東に移ると、甲斐は加藤光泰が治め、家臣の佐内氏が入りますが、加藤光泰が朝鮮出兵の際に病死したあと、浅井長政が入り、郡内には家老の浅野氏重が派遣されました。
その時、勝山城が更に改修されたとされます。
なお、浅野氏重の家臣として、川口長重、伊藤又兵衛、大橋吉景、沖吉勝、不破高利が代官を務めています。

関ヶ原の戦いのあとは、鳥居元忠の三男・鳥居成次が谷村城主となり、徳川忠長が改易されたあとは秋元泰朝が1633年、谷村藩主となっています。

なお、江戸時代の谷村藩としては、谷村城が政庁でありましたが、勝山城も手付かずとはいえ、残されていた模様です。

と言う事で、勝山城を目指してみました。
谷村町駅近くの富士急の小さな踏切を渡って、道なりに進むと坂を下がり、下記の自動車も通行できる桂川の城南橋(つり橋)を渡って登城口を目指します。

勝山城のつり橋

その桂川には、滝?のようなものもありました。山中湖の忍野八海付近を源流とする桂川は、やがて相模川と名を変えて、湘南に注がれます。

桂川の滝

道は細くて分かりにくいですので、下記に載せてある地図を縮尺かえて、良くご覧の上ご訪問願います。

勝山城の駐車場

駐車場ありませんが、登城口近くのトイレ脇に車を4台程度止めて置けるスペースがあります。
駐車禁止ではないので安心です。
城山の上にはトイレはありませんので、ここで済ませておきましょう。

勝山城の登城口

そのトイレ近くに「登城口」があり、色々看板や説明版もあります。
クマ注意もありましたが、本当に出るのでしょうか?
ここの標高を測定しましたら、485mでしたので、山頂(571m)までの比高は86mの高低差となります。

勝山城の石垣

登山道は一応整備されており、山城装備は不要です。
歩きやすくはなっていますが、滑りにくい靴だと良いでしょう。
上記のように石垣なようなものもありました。

勝山城の内堀

空堀のようなものもありますが、茂っていて良くわかりません。
10月末でも飛んでる虫がいましたので、虫よけがあると良いかもしれません。

勝山城からの展望

登っていく途中、谷村駅を撮影。
そうそう、パソコンの場合、

勝山城の見張り台

上記は見張り台と名がついていました。

勝山城の斜面

斜面は結構、急峻です。斜面を登って攻めるのは不可能と言えます。

勝山城の三の丸

上記は勝山城の三の丸です。

勝山城

三の丸から二の丸へと繋がる通路は、虎口のようになっていましたが、広くはないですし、うーん、後世に作られた単なる通路なのかも知れません。

勝山城の帯郭

上記は帯郭です。なかなか技巧が工夫されている城ですので、豊臣や徳川の改修によるものかも知れません。

勝山城の二の丸

二の丸は、本丸より一段下がった場所となります。

勝山城から望む富士山

うっすらですが富士山も望めました。
富士山が見える城郭はほんと良いですよね~。
自分が戦国武将でしたら、富士山が見える城(山中城足柄城、岩殿城、本栖城など)で勤務したいです。

勝山城の本丸

山頂に削平された平坦地が本丸です。

勝山城の東照大権現

勝山城の本丸にある東照大権現です。
さすが、徳川家康殿ですね。

勝山城

本丸で草地をウロウロしていたら、ズボンのすそに「チジミザサの種子」がギッシリついてしまいました。
このチジミザサの種子は粘液を出して、ネバネバとズボンに引っ付いてしまい、手はベトベトになりますし、すべて取るのに5分位要します。
と言う事で、整備されているとはいえ、勝山城の訪問時期は12月~3月が良いかも知れません。

勝山城から源生見張り台方角

周辺には北尾根・東尾根・南尾根にそれぞれ曲輪群があります。
上記は勝山城の本丸から源生見張り台の方角を撮影したものです。
本当は郭にも行きたかったのですが、郭への道は整備されていない様子でしたので、ズボンについた種の影響により断念しました。
特に、西側は一部人工的な開削による外堀や土橋もあるようですので、オススメなようです。
なお、中央自動車道(富士吉田線)が西側を通っており、城山の一部は破壊されています。

勝山城の縄張図

甲斐・勝山城の見学所要時間は登城口から30分~50分でしょうか?
登城口から本丸までは10分~15分くらいの登りで、息は切れますが、そんなにキツクなく、ちょうど良い運動といったところです。
夏場に行かれる場合には、虫よけと水分補給を忘れずに。

勝山城へのアクセス・行き方

電車の場合、富士急の谷村町駅から徒歩で、登城口まで約10分です。
車を止められる場所は、下記の地図ポイント地点となります。
地図は縮尺を変えてご覧ください。
※このページ最後には谷村城をご紹介致します。

谷村城(谷村館)

中津森館を本拠としていた小山田信有は、1530年の焼失を機に、谷村城の築城を開始し、1532年に武田信虎の他、甲斐の国人を招待して谷村館(谷村城)を披露しています。
そして、郡内の本拠地として城下町を整備しました。
谷村城は平城ですので、恐らくは、その際に、桂川の対岸にそびえる背後の勝山城も、詰城として多少の整備が行われたと推測致します。

最近の2014年に、初めて本格的な発掘調査が行われ、石列・敷石・通路状・道路状の各種遺構などが確認されました。

谷村城

上記写真は、谷村城碑で、下記の地図ポイント地点である、都留第一小学校の南西の場所に建っています。
車は都留市役所の駐車場に止めて、歩いて1分です。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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