小場城(おば-じょう)は、茨城県常陸大宮市にある丘の上の城で、北茨城の他の多くの城と同じで、台地の端っこにある丘城と言えます。
ただ、違うのは、那珂川の東岸にあり、その台地の3方は比高60mほどの崖になっています。
要するに、東側の1箇所を堀切で遮断すれば、防御は容易と天然の地形で城を築くのにはベストとも言える場所であることです。
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最初の築城は、鎌倉時代の1230年頃とされます。
佐竹氏4代・佐竹秀義の子に、南酒出城主・南酒出義茂と言う武将がいますが、その子・南酒出嘉久(南酒出義久)の館が築かれたと言います。
その後、南北朝時代の1348年に改修されて、佐竹氏9代・佐竹義篤の庶子・小場義躬が小場館に入ると、小場氏を称するようになったとあります。
兄弟には、常陸・大山城主の大山義孝、常陸・山入城主になった佐竹師義がいます。
小場城の本丸脇の空堀は保存状態も良いです。
写真ではわかりにくいですが、落ちたら這い上がるのに大変そうな深さでした。
その他の部分は農地や民家になっていますが、なんとなく、城跡であることがわかります。
戦国時代には1501年11月に小場義実が元服しています。
しかし、1540年、常陸・太田城主である佐竹義舜の3男・佐竹四郎義元が、兄で佐竹当主の佐竹義篤に謀反を起こした際に、小場義実や高久城主・高久義貞も呼応して佐竹宗家と戦いましたが、小場義実は討死しています。
その後、小場家には跡取りがいなかったため、小場義忠の娘と佐竹義昭の3男を結婚させて婿養子に迎えました。
この武将が、小場義宗(小場義家)となり、佐竹氏の重臣としての地位も高くなり、子の小場義成は、正室に佐竹義久の養女を迎えています。
小場義成(おば-よしなり)は1569年生まれで、1600年には、5万石で常陸・小田城に移動しています。
代わりに大山義喜の子である大山則宗が小場城に入ったようですが、1602年、佐竹家は秋田の久保田城に転封となりました。
この時、小場義成は佐竹東家の佐竹義賢(佐竹義久の子)と共に先に秋田に入り、あとからくる佐竹家の受け取れ準備を行いました。
以後の小場義成に関しては下記の記事でもご紹介していますので、よければ合わせてご確認頂けますと幸いです。
いずれにせよ、小場氏は重要拠点の出羽・大館城にて、秋田に移った佐竹家を支えました。
常陸・小場城の小場家が佐竹西家と言う事になります。
小場城への交通アクセスですが、JR水郡線の静駅から徒歩60分となります。
車の場合、空堀わきにある案内板付近の道路わき路肩に2台ほど止められます。
当方のオリジナル関東地図にて場所をわかるようにチェックしておきます。
本城と言う地名がついている本丸部は、土塁で囲まれていますが、そのまま民家になっているようですので、内部への立入りは自粛致しました。
すごいところにお住まいで、うらやましいです。
・筑波・小田城 防御は弱い?
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・檜山城 広大な檜山安東氏城館跡 紅葉の様子も
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・佐竹義昭 なかなか合戦では強かった佐竹氏
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・茨城県の城跡巡りにも便利な独自地図
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